教室ブログ

2023.12.08

「あれ」と「これ」

みなさん、こんにちは。Wam三咲校の大國です。

「年末」です。年末といえば「流行語大賞」ではないと思いますが、一年の世相を表す風物詩として注目しています。今年は阪神タイガースの岡田監督の「アレ」(「A・R・E」)が大賞を受賞。日本一とのW受賞に岡田監督も「日本シリーズで勝つより嬉しい」と口も滑らかなのが印象的でした。あらためまして阪神タイガースファンの皆様、おめでとうございます。

「あれ」といえば「これ」。最近、日本国憲法を改めて読んだのですが、どうも条文に出てくる「これ」が何を指しているのかよく分かりません。憲法解釈の上ではなく、国文法に忠実に読んだ場合です。

日本国憲法 第九条

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。 国の交戦権は、これを認めない

第一項の主語は「日本国民は」です。「これ」は「国権の発動たる戦争」と「武力による威嚇又は武力の行使」と考えられますが、これ」は単数を指すのでどちらか一方という解釈が成り立ちます。条文の主旨を考え、両者を指したければ「これら」とすべきではないでしょうか。どちらか一方を「永久に放棄する」と解釈すれば、「国権の発動たる戦争」もしくは「武力による威嚇又は武力の行使」は違憲ではないとも読めてしまいます。日本国民は「国権の発動たる戦争」もしくは「武力による威嚇又は武力行使」のどちらか一方の行使を永久に放棄すればよいのでしょうか?宣戦布告を行わなければ、戦争とはならないので合憲と解釈できる「武力の行使」だとすることも可能なのではないでしょうか。

あえて「これ」としているのか、それとも憲法作成から成立までのドタバタでそこまで気が廻らなかったのか?理由はわかりませんが、あえて「これ」としたとし、日本再軍備の余地を残したと仮定すると不気味な「これ」です。もちろん素人の邪推であって欲しいです。

第二項。省略されていますが、やはり主語は「日本国民は」と考えるべきでしょう。では、「これ」が指す「何」は何なのでしょう?第二項の「これ」は余計なのではないかと思うのです。主語を日本国民とすれば

(日本国民は)前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力を保持しない。国の交戦権を認めない。

となるわけで、主旨も違わず、分かり易いと思うのですが。

繰り返しますが、憲法解釈上の疑問ではありません。日本国語文法としての疑問です。現行の日本国憲法は英文で書かれたGHQ草案を日本語訳して作成され、また、当時の法律上の文章は文語口語が入り混じっていた、という事情もあったようです。しかし、施行から75年以上の年月が経過した現在、主旨を変えずに文体を変える位のマイナーチェンジをしてもよいのではないでしょうか。

なぜかといえば、過去、この国にはたとえば周辺事態法成立時のように、憲法に違反しているのではないかと国会で議論となった時、憲法解釈の変更という荒業を駆使し、数の力で押し切ってきたという歴史があるのです。国語として怪しい条文なのだから、この先いとも容易く「解釈」を変えて、数の力で押し切ってしまうのではないか、それが将来の戦争という悍ましい結果に結びついてしまわないか。心配性なオジサンは考えてしまうのです。変な風が吹かなければいいのですが。

平和主義の象徴であり、それゆえ日本が世界から尊敬を集めている憲法第九条。もう少し美しい日本語、分かりやすい日本語にしてもよいと思っています。言葉として美しければ、分かり易ければ、もっと多くの日本人が国や憲法に誇りを持てるようになり、世界の恒久的平和に貢献しようと思う人も多く出てくるのではないかと思うのですが、皆さんはどうお考えですか?

せめて、自分の目が黒いうちに「不気味なこれ」「余計なこれ」くらいは何とかして欲しい、と正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求する一日本国民として「これ」を思うのであります。・・・んんっ??

それでは今回はこのへんで。

 

 

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