2026.09.23
「解る」とは何か──私が生徒に伝えたい学びの本質
こんにちは。
松飛台校です。
学びの現場に立っていると、「わかる」という言葉が、思っている以上に多層的で、そして繊細な概念であることに気づかされます。
生徒が「わかった」と口にする瞬間は確かにある。 しかし、その“わかった”がどの段階の理解なのか、どれほどの深さを伴っているのかは、人によって、状況によって、まるで違う表情を見せます。
言葉としての「わかる」は一つでも、 その内側には、いくつもの意味の層が折り重なっている。その違いを丁寧に見つめることこそ、教育に携わる者として欠かせない姿勢だと感じています。
「わかる」という言葉には、 判る・分かる・解るという三つの漢字があり、 辞書を引けば、それぞれの意味の違いが並んでいます。
しかし、辞書の語釈は辞書ごとに異なり、必ずしも腑に落ちるとは限りません。言葉の意味は、文脈や文化、そして使う人の感覚によって揺れ動きます。
これは日本語に限らず、他言語でも同じです。
たとえば「人権」という言葉があります。英語では rights と訳されますが、right には「正しさ」や「右」という意味が含まれています。人権と正しさは必ずしも結びつくわけではありませんし、場合によっては語弊を生む可能性もあります。
言葉は、完全に一致することのない“ゆらぎ”を抱えています。だからこそ、辞書の定義だけでは捉えきれない「意味」が存在すると感じています。
頭の中に理解らしきものがあっても、 それを言語化し、他者に伝えられなければ、 それはまだ“分かったつもり”の段階にすぎません。
説明するためには、
こうした要素が不可欠になります。
つまり、説明できるということは、 理解が構造化されている証拠だと考えています。
私は教室長として、講師として、 そして学び続ける一人の人間として、 この「解る」という姿勢を生徒に持ってほしいと願っています。
入試問題は年々難しくなり、講師も「自分の時代はこうだった」などと胡坐をかいていられません。学び続けなければ、教え続けることはできないと強く感じます。
極端に言えば、AIに正しい聞き方をすれば、塾は不要になる時代です。
しかし、AIと私たち人間には、決定的な違いがあります。
私の経験上、人が覚醒する瞬間は三つあると感じています。
この三つのうち、私たち教育者が最も力を発揮できるのは、三番目だと思います。
言葉は重いものです。
人を救うこともあれば、傷つけてしまうこともあります。
だからこそ、生徒との信頼関係を築き、その子が必要としている瞬間に、必要としている言葉を届けることが大切になります。
これはAIにはできない、人間にしか担えない教育の核心だと考えています。
生徒たちが「解る」に到達できるように、そして覚醒の瞬間を迎えられるように、私たちは最善のサポートを続けていきたいと考えています。
学びは孤独ではありません。
誰かと共に歩むことで、理解は深まり、力強いものになっていきます。
今日もまた、生徒と共に「解る」を目指していきたいと思います。