こんにちは。今日は2011年の出来事を紹介します。
揺れた日本と我々の心。
2011年3月11日。
午後2時46分。新宿のビルの中。
営業先から職場に戻って、いつも通りパソコンの電源をつけた瞬間、床が大きく揺れた。
デスクがきしみ、蛍光灯が震えた。
最初は「また地震かな?でも少し大きいぞ!?」と思った。でも、すぐにそれが普通じゃないと分かった。
崩れる棚を必死に抑える上司。パソコンが次々に倒れる。
揺れが止まらない。机が大きく回るほど揺れている。やばいって!!
エレベーターのドアが開いたり閉まったりしている。うそだろ!!
みんな顔を見合わせた、でも必死だった。
「これ、ビル崩れるかもしれない。火事になるぞ!!」そんな恐怖が背中を走った。
みんなでゆっくり慌てず外に出た。街がまだ揺れている。余震はしばらく続いた。
町は騒然としていた、ガラスが落ちてこないか不安だった。みんな建物から離れた。
ただ、空だけが、いつもと同じ青さで広がっていた。
電車も止まり、夜になっても帰れなかった。何キロも歩いて帰る人もいた。
暗闇の中、事務所で携帯のワンセグをみんなで見た。
福島第一原発。爆発の映像。ヘリコプターが原発に水をまく。
津波が町を飲み込み。逃げ惑う人々。
「これって映画じゃないよね…」
「原子炉の爆発ってどういう事なの?こんな事あり得るの😢?…」
暗闇の中で誰かがそう呟いていた。もしかしたら私が言っていたのかもしれない。
たぶん、あの日を境に、多くの人の基準が変わったと思う。
安全も、日常も、あたりまえじゃない。
当時はみんなが海を恐れた。波の音が不気味に聞こえた。
でも、あの出来事から学んだのは、恐れることより備えることだった。
地震は止められない。でも、心は折れないようにできる。
今、教室で生徒たちと話していると、
あの頃小さかった子どもたちは、もう高校生になっている。
きっと彼らの中にも、震災の記憶はわずかにあるのかもしれない。
しかし、ここ大阪ではあまり実感できないのかもしれない。
「強く優しく支え合いながら生きよう」
あの2011年の体験を忘れずに生きていこう。