こんにちは!磐城駅前校です。本日も一人でも多くの方の目に届くことを願い、
投稿させていただきます。
前回の続きです。
③ おかげさま、という言葉や感情を持つ「謙虚な心」
謙虚な心。日本人には古来より備わっていた当たり前の心でした。今の日本人も他の国と比べればある方だと思いますが、昔の日本人に比べるとやや低迷しているように感じます。
謙虚さとは「自分を差し置いて他を重んじる」という事です。自分と言う「我」を手放し、自分以外の「他=ヒト・コト・モノ」を重んじる心の事を「謙虚な心」と言います。
謙虚さとは、ともすれば「自己犠牲」と勘違いされるかもしれませんが、それは極端すぎる事をまずは学んでください。自分を犠牲にしていい訳がありません。
この「謙虚な心」を持つためには、日常的に「自分の機嫌を取る」という事をしていなければなりません。
自分の機嫌を他者に取らせている場合。例えば「父親の威厳」にすがって、他の家族の人に機嫌を取らせているとしましょう。すると、だんだん「私はえらいんだ・力があるんだ」という「勘違い」が起きます。そのようなお父さんも外に出れば「一般人」なわけです。
一般人のお父さんが一般世間で「私は偉い」と勘違いした場合、どうなりますか?「あの人はなんて厚かましい人なんだろう」と思われますよね?
従って、「私は特別ではない。普通の人なんだ」と言う自覚が「謙虚な心」を持つという事。「普通な私は他を重んじる」という心を育てる事によって「謙虚」さを得る事が出来ます。
④ 私がやります!という言葉や態度に表す「奉仕・謙譲の心」
これは、仏教でいう所の「縁起」の教えに通ずるところがあります。縁起とは「人間とは関係を生きている」という事です。それにもかかわらず「誰かがやってくれるでしょ」と高をくくっていたのでは、いずれトラブルが起きるという事です。
ここも「私を差し置いて他を重んじる」という事。コミュニティの中でそれぞれの役割があり、自分の役割を全うしているからいいのではありません。
仕事においても、自分の仕事が終わったのなら他の人の仕事を手伝うのです。
「退社まであと15分あるんですが、何かお手伝いできることはありませんか?」という行為、心持こそが「奉仕・献上の心」です。
「そんなことをやったって誰にも褒められないし、給料分は稼いだんだからいいでしょ?」というその心。それが「奉仕・献上の心」が足りないという事です。
「私」が「私を満たす」のは「あなたの勝手」なのです。どうか好きにしてください。人間とは「縁起」によって生かされているのです。だからこそ「奉仕・献上の心」を育てる必要があります。
また「わたしがやります!」と普段から言っている人を、みなさんも助けたくなりませんか?(その様な人を鼻にかけて好き放題させるのは論外です。)
「奉仕・献上の心」とは自分を活かし、他者を助ける事によって「他から助けられる人」の事を言います。このような人は「他力本願」で生きていけます。
他力本願も実は仏教の言葉です。他力本願とは「まずは自分がやってから他人の手を借りる」という事です。辞書には「自分でやらずに他人任せにする」という意味やニュアンスで表現されていますが、全くもって間違っています。
まずは「他を生かす」ということ。その報いが「他から生かされる」という風に循環していくという事です。お間違いの無いように。
次回に続きます。
葛城市・大和高田市の塾
個別指導 Wam 磐城駅前校
黒田 裕亮
〒639-2164 葛城市長尾275-16 川西ビル1F
TEL : 0745-44-3779
Mail : wam-iwakiekimae@hmgroup.co.jp