こんにちは!個別指導WAM堺市駅前校です。
今回も少し懐かしいお話です。
今からちょうど34年前の1991年、私は中学1年生でした。
最近、教室で中学1年生の生徒と話していて、「自分が中1の時ってどんな感じやったかな…?」とふと思い出したんです。
小学生の頃は、気の合う仲間とサッカーを比較的自由に楽しんでいました。
でも中学に入ってサッカー部に入ると、世界がガラッと変わった印象がありました。
小学校では友達だった年上の先輩が、「上官」のように君臨する人がいたのです。
「先輩に絶対服従」という空気のなか、
理不尽に怒鳴られたり、厳しい練習に耐える毎日が始まります。
もちろん、すべての先輩ではなく、一部の先輩です。
正直、サッカーを純粋に楽しむよりも、怒られないように頑張る部活生活だった気もします。
試合でミスると怒られる。怒られるから委縮する。委縮するからまたミスをして怒鳴られる。
でも、あの経験が社会のルールや上下関係を少しずつ教えてくれたのかもしれません。
1991年といえば、CHAGE and ASKA「SAY YES」の時代。
あの頃は、CHAGE and ASKAが音楽というひのき舞台のセンターに君臨していました。
「SAY YES」は『101回目のプロポーズ』というドラマの主題歌でした。
「僕は死にましぇん!あなたが好きだから!」という名シーンで有名ですね。
(ちなみに、私はドラマにはあまり興味がなかったです笑)
でもチャゲアスの音楽は大好きで、今でもよく聴いています。
「SLAM DUNK」がジャンプで連載スタートしたのが1990年末のようです。
1991年当時はまだ、じわじわ人気拡大中という時期だと思います。
私たちの学校では、昼休みにみんながバスケをしてました。
サッカー部の私も、なぜか三井寿(ミッチー)になりきって、
「スリーポイントォーーーッ!!」とか叫びながら打ってましたね(サッカー練習しろよ笑)
あの頃からバスケ部の部員は爆増して、
NBAブームもあって、バスケが青春の中心になっていった気がします。
家に帰ったらすぐゲーム。
1990年に発売されたスーパーファミコンが大ブームで、
私の家ではみんなで「ストリートファイターⅡ」をプレイしまくってました。
サッカー部の仲間が集まって、
「波動拳!」「昇龍拳!」とか叫びながらワイワイやってたなあ…。
今の生徒たちがSwitchで遊んでるのと、
きっと本質は何も変わらない。「ゲームはいつの時代も最高の青春ツール」です。
そしてあの年、相撲界でも大事件がありました。
ウルフの異名を持つ千代の富士が、
当時まだ若かった貴花田(後の貴乃花)に敗れて引退したんです。
テレビで「体力の限界」と涙ながらに話す千代の富士の姿に、日本中が驚きと感動に包まれました。
そこから一気に若貴フィーバーが始まったのを覚えています。
…今の中学生、相撲見てる?(笑)
1991年12月、世界ではもっと大きな出来事が起きていました。
「ソ連」という大国が崩壊しました。
当時の私は正直、よくわかっていませんでした💦
「アメリカとソ連が世界の2大国で、日本人の私はアメリカ側。
ソ連はなんか敵っぽい国。
でもゴルバチョフさんっていう、頭にシミのある偉い人がいて…。
気づいたら、そのソ連が消えた…???」
それぐらいの感覚です。
あとになって分かったのは、
このソ連の崩壊が世界にとってめちゃくちゃ大きな事件だったということ。
「自由とは何か」
「国家とは何か」
「権力と市民の関係とは何か」
そんなことを考えさせられる、歴史の大転換点でした。
皆には「そんな昔のこと知らんし」って言われることも多いけど、
1991年のあの時代にも、
今の私たちにつながる大事な問いや学びが詰まってます。
時代が違っても、悩みも、楽しみも、喜びも、実は似てるのかもしれません。
これからも、教室での学びを通じて、
みんなが自分の人生を考えられるような場にしていきたいと思います!