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2026.01.07

🍰「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」は嘘だった!フェイクニュースに今も踊らされているマリーアントワネット

 

― マリー・アントワネットはなぜ“世界一嫌われた王妃”になったのか?

彼女ほど 誤解され、叩かれ、消費され続けている歴史人物はいません。

浪費家?
無知な王妃?
民衆を見下した悪女?

──そのほとんどは、後から作られたフェイクニュースです。

この記事では
✔ 本当のマリー・アントワネット
✔ なぜ彼女が憎まれたのか
✔ なぜ革命の象徴にされたのか
✔ なぜ今も“アイコン”であり続けるのか

を、背景・心理・政治・プロパガンダまで含めて徹底解説します。


① 14歳で「敵国」に売られた少女

マリー・アントワネットは“政略結婚の駒”

  • 生年:1755年
  • 出身:オーストリア(ハプスブルク家)
  • フランスへ:14歳で嫁入り

当時のフランス人から見てオーストリアは

「宿敵」「信用できない国」

つまり彼女は
👉 来た瞬間から嫌われる立場でした。

しかも

  • 言葉も文化も違う
  • 友達ゼロ
  • 家族とも引き離される

現代で言えば

中学生が、敵国に単身転校させられ、国の顔として完璧を求められる

無理ゲーです。


② ヴェルサイユ宮殿という“地獄のSNS空間”

王妃は常に監視されていた

ヴェルサイユ宮殿では

  • 着替え
  • 出産
  • 食事

すべてが 公開イベント

しかも

  • 貴族たちは噂話が命
  • 王妃の一挙手一投足が拡散

完全に

18世紀版・炎上SNS

の世界です。


③ 結婚しても7年間、子どもができない

最大の問題がこれ。

「王太子妃なのに、後継ぎを産まない」

原因はマリーではありませんでした。

  • 夫ルイ16世に性の問題があった可能性
  • 医学知識の未発達

しかし責任は

👉 すべて彼女に押し付けられる

当時の評価:

  • 無能
  • 放蕩
  • 国に興味がない

完全なスケープゴートです。


④ 派手なファッション=“国民の敵”にされる

なぜ服装が憎悪の象徴になったのか

彼女は確かに

  • 豪華なドレス
  • 髪を高く盛るスタイル
  • 新しい流行を次々生み出す

しかし重要なのは👇

  • 国庫を破綻させたのは戦争費用
  • 王妃個人の浪費は誇張されていた

それでも民衆は

「苦しいのは、あの女のせいだ」

という分かりやすい悪役を欲していました。


⑤「パンがなければケーキを」発言の真実

結論から言います。

❌ マリー・アントワネットは言っていません。

この言葉は

  • 彼女が子どもの頃に書かれた文献に登場
  • 別の貴族女性の発言

にも関わらず

👉 革命期のプロパガンダで
👉 彼女のセリフとして拡散

完全な フェイクニュースの大成功例です。


⑥ 反革命プロパガンダの標的にされる

革命前夜、彼女に浴びせられた中傷は異常です。

  • 不倫
  • 国家反逆
  • 外国への裏切り
  • 近親相姦(実子と)

これ、証拠ゼロ。

目的はただ一つ。

王制の象徴を完全に破壊すること


⑦ 革命勃発、そして“転落”

  • 1789年 フランス革命
  • 王権崩壊
  • ヴェルサイユ追放
  • パリへ連行

この頃の彼女は

  • 派手な服を捨て
  • 髪も切り
  • 王妃としてではなく“母”として振る舞う

しかし時代は彼女を許しません。


⑧ 夫ルイ16世、処刑

1793年、ルイ16世処刑。

マリー・アントワネットは

「未亡人カペー」

と呼ばれ、名前すら奪われます。

そして次は、彼女の番。


⑨ 革命裁判という名の“見せしめ”

裁判内容はほぼ虚構。

  • 国家反逆
  • 民衆への敵対
  • 息子への虐待(捏造)

彼女は毅然としてこう答えます。

「母である私が、そのような罪を犯すはずがありません」

この一言で
👉 傍聴席の女性たちが静まり返った
という記録が残っています。


⑩ 37歳、ギロチンへ

1793年10月16日。

  • 白い簡素な服
  • 髪は切られ
  • 民衆の罵声の中

処刑台へ。

最期に、誤って処刑人の足を踏み

「申し訳ありません、わざとではありません」

と言ったと伝えられています。

──最後まで、礼節を失わなかった。


⑪ なぜ彼女は“ファッションアイコン”になったのか

皮肉なことに

  • 彼女が広めたスタイル
  • 自由な女性像
  • 自己表現

は、現代女性の価値観と完全に一致しています。

だから

マリー・アントワネットは
「処刑された後に勝った女」

とも言われます。


✨まとめ:彼女は悪女ではなく“時代に殺された女性”

マリー・アントワネットは

  • 無知な浪費家ではない
  • 冷酷な王妃でもない
  • ただの被害者でもない

彼女は

政治・噂・恐怖が生んだ“象徴的スケープゴート”

でした。


🔥次回は・・・

  • 「現代SNSにいたら即炎上する王妃」
  • 「なぜ女性だけが叩かれたのか?」
  • 「ジャンヌ・ダルクとの共通点」
  • 「フェイクニュースの最初期事例」

こんなテーマで考えています!
リクエストと高評価、お待ちしております!

https://g.page/r/CSwpI-KiJOqxEAE/review

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