
こんにちは。 個別指導WAM堺市駅前校です。 今回は、「戦時下の日本の文化」と「ヨーロッパ戦線の終結」について取り上げます。
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📢戦時中のマスメディアと国民生活
太平洋戦争が長引く中、日本国内では「言論統制」が強まりました。 新聞、ラジオ、映画などのマスメディアは、すべて政府が管理し、「都合の悪い情報」は国民に伝えられませんでした。
📰報道は戦争に有利な内容のみ。 🎥映画や歌謡曲も「戦意高揚(戦う意欲を高める)」のために使われました。
たとえば: ・兵士を称える戦争映画 ・戦地に向かう若者を歌った軍国歌謡 ・「贅沢は敵だ!」「欲しがりません勝つまでは」といったスローガン
人々は「日本が勝っている」と信じ込まされていましたが、 現実には空襲や物不足がどんどんひどくなり、 多くの人が「何かがおかしい」と肌で感じ始めていたのです。
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🌍ヨーロッパ戦線の終わりが近づく
一方、ヨーロッパではドイツ・イタリアが中心となる「枢軸国」に対して、連合国の反撃が始まっていました。
🇮🇹 イタリアではムッソリーニが国民の反発を受けて失脚。 1943年にはイタリアが降伏し、戦線から離脱しました。
🇫🇷 1944年には、連合国軍がパリをドイツ軍から解放。
🇷🇺 ソ連軍も東から攻め込み、ドイツ軍を次々と撃退していきました。
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🕊️ヒトラーの最期とドイツの降伏
1945年4月、ベルリンがソ連軍に包囲される中、 ヒトラーは地下壕で自殺。
その直後の5月、ドイツは連合国に対して正式に降伏します。 ヨーロッパでの戦争は、ここで終わりを迎えました。
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📝ヤルタ会談とヤルタ協定
その少し前の1945年2月、連合国のリーダーたちである、アメリカのルーズベルト、イギリスのチャーチル、ソ連のスターリンが【ヤルタ会談】を行い、戦後の世界について話し合いました。
・ドイツをどう分割するか ・日本へのソ連の参戦 ・戦後の国際秩序の再建
こうした内容が「ヤルタ協定」としてまとめられ、 その中には【ソ連が南樺太や千島列島を手に入れる】という密約も含まれていました。
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📜ポツダム宣言とは?
1945年7月には、アメリカ・イギリス・中国の代表が【ポツダム会談】を行い、日本に対して「無条件降伏」を求める【ポツダム宣言】を発表。
このとき日本政府はすぐには受け入れず、戦争はさらに悲劇的な方向へ向かってしまうことになります……。
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もし現代の日本で「この情報しか見てはいけません」「質問は禁止です」「言いたいことが言えません」と言われたら?
たとえ毎日笑顔で「喧嘩はしていません!」と言われても、実際に友達や家族の顔が殴られ壊れていたら、何かがおかしいと気づきます。
正しい情報を得ること、そして意見を交わすこと、それが自由で平和な社会の基本なのかもしれません。
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✏️見えない支配に気づく力
戦争中の日本やヨーロッパでは、「見えない支配」が多くの人々を飲み込んでいきました。 それは、情報を制限すること、文化を操作すること、声を奪うこと。
だからこそ、歴史を学ぶことは「気づく力」を育てること。
私たちは、どんな時代でも「正しいか?公平か?」と問いながら、自分の意見を持ち続けられるようにしたいですね。
情報が発達した現代、我々は本当に正しい情報を得ているのでしょうか。
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📍次回予告!
「原爆と終戦」。 戦争の終わりは、恐ろしくも重大な選択から始まります。 一緒に最後まで歴史をたどっていきましょう。