
こんにちは。 個別指導WAM堺市駅前校です。 今回のテーマは「原子爆弾投下。そして日本に訪れた敗戦」について。
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💣広島・長崎への原爆投下
1945年7月、アメリカ・イギリス・中国は【ポツダム宣言】を出し、日本に無条件降伏を求めました。 しかし、日本政府はこれを黙殺。
その結果、アメリカは「戦争を早く終わらせる」という名目で、【原子爆弾】の投下を決定してしまいます。
📍8月6日 午前8時15分:広島
📍8月9日 午前11時2分:長崎
・町の中心部は一瞬で壊滅。 ・広島では約14万人、長崎では約7万人が犠牲になりました。
・その後も【放射線の後遺症】に苦しむ人々が続出しました。
生き残った人の中には、家族を一瞬で失った人、自らも大やけどを負った人が多くいたのです。
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🕊️ソ連の参戦と満州への進攻
原爆投下と同じタイミングで、もう一つの重大な出来事が起きます。
1945年8月8日深夜、ソ連は「ヤルタ協定」をもとに、【日ソ中立条約】を破って日本に宣戦布告しました。
📍8月9日、満州と南樺太へ進行を開始。
これにより、日本は南からアメリカ、北からソ連という【二方面からの圧力】にさらされました。
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📜ポツダム宣言の受諾と終戦
天皇制を維持できるという情報のもと、日本政府はついに敗戦を決断します。
📍8月15日、昭和天皇が【玉音放送】にて降伏を国民に伝えました。
「本日をもって、戦争を終結します」
それは、多くの人々にとって突然の終わりとなったのです。
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敗戦を玉音放送で聞いた人々の気持ちはどうだったのでしょうか・・
戦争が終わったと聞かされたとき、多くの人々は言葉を失いました。
「やっと終わった……」 「これで死なずにすむのか……」
その安堵は、あまりに静かで、重たく、涙も出ないほどの感情だったのかもしれません。
それは喜びではなく、長すぎる苦しみの果てにたどり着いた、無感覚な安堵なのでしょうか。
しかしその一方で、
「母も、父も、兄も、妹も、もう戻ってこない……」 「この戦争で、何を得たのだろうか?」 「友を見送ったあの日の涙は、何だったのか……」
怒りでもなく、悲しみでもなく、ただただ心が深く沈む。 悔しさ、虚しさ、やるせなさ。
きっと、心や感情に名前をつけられないまま、人々は立ち尽くしていたのではないでしょうか。
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もし自分の家族が、ある日突然いなくなったら?
教室の友達が、ある日からいなくなったら?
何もできず、尊い命を失い、ただ「終わった」と言われたら……?
戦争は、人の命だけでなく、心や希望も壊してしまうのでしょうか。
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✏️戦争の終わりは、悲しみと問いの始まり
原子爆弾、ソ連の進攻、玉音放送。すべてが終わったその日、人々は何を感じ考えたのでしょうか。
現代の私たちには、きっと本当の痛みや喪失感は想像できないかもしれません。
でも、学ぶことはできます。
「もう二度と繰り返さないために」 「小さな違和感を見逃さないために」
平和な日常のありがたさに、気づくために。
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📍次回予告!
「東京裁判と昭和天皇人間宣言」。 人々はどのように立ち上がっていったのか?