教室ブログ

2025.05.29

☢️原子爆弾投下——日本に訪れた敗戦

こんにちは。 個別指導WAM堺市駅前校です。 今回のテーマは「原子爆弾投下。そして日本に訪れた敗戦」について。

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💣広島・長崎への原爆投下

1945年7月、アメリカ・イギリス・中国は【ポツダム宣言】を出し、日本に無条件降伏を求めました。 しかし、日本政府はこれを黙殺。

その結果、アメリカは「戦争を早く終わらせる」という名目で、【原子爆弾】の投下を決定してしまいます。

📍8月6日 午前8時15分:広島

📍8月9日 午前11時2分:長崎

・町の中心部は一瞬で壊滅。 ・広島では約14万人、長崎では約7万人が犠牲になりました。

・その後も【放射線の後遺症】に苦しむ人々が続出しました。

生き残った人の中には、家族を一瞬で失った人、自らも大やけどを負った人が多くいたのです。

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🕊️ソ連の参戦と満州への進攻

原爆投下と同じタイミングで、もう一つの重大な出来事が起きます。

1945年8月8日深夜、ソ連は「ヤルタ協定」をもとに、【日ソ中立条約】を破って日本に宣戦布告しました。

📍8月9日、満州と南樺太へ進行を開始。

これにより、日本は南からアメリカ、北からソ連という【二方面からの圧力】にさらされました。

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📜ポツダム宣言の受諾と終戦

天皇制を維持できるという情報のもと、日本政府はついに敗戦を決断します。

📍8月15日、昭和天皇が【玉音放送】にて降伏を国民に伝えました。

「本日をもって、戦争を終結します」

それは、多くの人々にとって突然の終わりとなったのです。

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敗戦を玉音放送で聞いた人々の気持ちはどうだったのでしょうか・・

戦争が終わったと聞かされたとき、多くの人々は言葉を失いました。

「やっと終わった……」 「これで死なずにすむのか……」

その安堵は、あまりに静かで、重たく、涙も出ないほどの感情だったのかもしれません。

それは喜びではなく、長すぎる苦しみの果てにたどり着いた、無感覚な安堵なのでしょうか。

しかしその一方で、

「母も、父も、兄も、妹も、もう戻ってこない……」 「この戦争で、何を得たのだろうか?」 「友を見送ったあの日の涙は、何だったのか……」

怒りでもなく、悲しみでもなく、ただただ心が深く沈む。 悔しさ、虚しさ、やるせなさ。

きっと、心や感情に名前をつけられないまま、人々は立ち尽くしていたのではないでしょうか。

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もし自分の家族が、ある日突然いなくなったら?

教室の友達が、ある日からいなくなったら?

何もできず、尊い命を失い、ただ「終わった」と言われたら……?

戦争は、人の命だけでなく、心や希望も壊してしまうのでしょうか。

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✏️戦争の終わりは、悲しみと問いの始まり

原子爆弾、ソ連の進攻、玉音放送。すべてが終わったその日、人々は何を感じ考えたのでしょうか。

現代の私たちには、きっと本当の痛みや喪失感は想像できないかもしれません。

でも、学ぶことはできます。

「もう二度と繰り返さないために」 「小さな違和感を見逃さないために」

平和な日常のありがたさに、気づくために。

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📍次回予告!

「東京裁判と昭和天皇人間宣言」。 人々はどのように立ち上がっていったのか?

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