ジャンヌ・ダルク(Jeanne d’Arc)は、フランスの歴史的な英雄であり、聖人でもあります。彼女は、15世紀のフランスでの百年戦争(1337年~1453年)における重要な役割を果たした人物です。以下に彼女の生涯について詳しく説明します。
生い立ち
ジャンヌ・ダルクは、1412年1月6日にフランスのドンレミ(Domrémy)という小さな村で生まれました。農民の家に生まれ育ち、教育を受けることなく、普通の村娘として生活していました。しかし、ジャンヌは若いころから神の声を聞いたと主張し、この声に導かれる形で運命を歩んでいきます。
神の啓示
ジャンヌは、14歳のころから「聖ミカエル」や「聖カトリーヌ」などの天使や聖人から神の啓示を受け取ったとされています。これらの啓示は、フランス王シャルル7世を支援し、百年戦争を終結させる使命を帯びていると彼女に告げるものでした。彼女はこの神の啓示を信じ、戦争の行方を左右するために立ち上がることを決意します。
シャルル7世への仕官
ジャンヌは、シャルル7世(当時は王位継承権を主張していた王子)に対して自らの使命を伝え、彼を支援するために軍に加わるように説得しました。最初は彼女の言葉を信じる者は少なかったものの、最終的にシャルル7世は彼女を信じ、軍を指導させることを許可しました。ジャンヌは、フランス軍を率いてオルレアンの包囲戦に参加し、この戦いで勝利を収めました。この勝利は、フランスにとって大きな転機となり、百年戦争におけるフランスの戦局を有利に進展させました。
聖戦の指導者としての活躍
ジャンヌは、フランス軍の士気を高め、神の加護を信じて戦いました。彼女のリーダーシップと勇敢な戦いぶりは、フランス軍の勝利を導きました。特に、オルレアンの包囲を解いたことは、彼女の最大の業績として評価されています。これにより、シャルル7世はレイモンの戴冠式(1429年)を行い、フランス王として正式に即位しました。
捕虜となり裁判を受ける
しかし、ジャンヌの運命はその後悲劇的に変わります。1430年、彼女はブルゴーニュ軍に捕らえられ、イギリス軍に引き渡されました。その後、イギリス側の支配下で異端者として裁判にかけられました。彼女は自分の信仰と神の啓示に基づいて行動していたと主張しましたが、裁判は政治的な理由で進められ、最終的に異端として有罪判決を受けました。
火刑による死
ジャンヌ・ダルクは、1431年5月30日、フランスのルーアンで火刑にされました。彼女の死は、当時の人々に深い衝撃を与えましたが、後の世では彼女が英雄であり、聖人として敬われることとなります。
復権と聖人への列聖
ジャンヌ・ダルクの死後、フランスでは彼女が不当な扱いを受けたことが認識され、彼女の名誉回復が進められました。1456年には、再度裁判が行われ、彼女の有罪判決が無効とされました。1920年にはカトリック教会によって列聖され、聖人となりました。
ジャンヌ・ダルクの英雄譚について、以下の動画で詳しく解説されています。