教室ブログ

2024.01.06

『源氏物語』(紫式部)から『奥の細道』(松尾芭蕉)へー時代を超越した「まねび」

ほとんどだれもが知ってる?ことだが一応確認しておこう。

現代語の「まなぶ→学ぶ」は古文単語では「まねぶ」という。

この「まねぶ」には「まねをする」という意味もあり、即ち「学ぶ=まねをする」ということでもあるのだが「まねること」自体は古語で「まねび」という。何故そんなことを書くのかというと昨年12月21日のブログで今年の大河ドラマである源氏物語についてふれたからなのであるが、光源氏はドラマに出てこないらしい。

実はもう十数年以上テレビのない生活を送っていて、自分はPCスマホで充分なのであるが、当然この大河ドラマも視聴するつもりはまったくない。というより現代というこの時代に、ゴールデンタイムかなにか知らないが、毎週日曜午後8時に定時放映すること自体が不便かつ時代遅れに感じる。

さて今回のテーマは時代を超越した「まねび」である。大河ドラマをきっかけにして、元旦から源氏物語を読み始めた人もいるだろう。もう通り過ぎてしまったかもしれないが「第二帖 帚木 第三章 空蝉 物語 第三段 空蝉の寝所に忍び込む」に

「月は有明にて、光をさまれるものから、影けざやかに見えて、なかなかをかしき曙なり。何心なき空の景色も、ただ見る人から、艶にもすごくも見ゆるなりけり」という一節がある。「月は有明で、光は弱くなっているとはいうものの、面ははっきりと見えて、かえって趣のある曙の空である。無心なはずの空の様子も、ただ見る人によって、美しくも悲しくも見えるのであった」の意味であるが、実はこれと非常によく似た表現が松尾芭蕉の奥の細道に存在する。冒頭の「旅立ち」の部分の「弥生も末の七日、あけぼのの空朧々として、月は有明けにて光をさまれるものから、富士の峰かすかに見えて、上野・谷中の花の梢、またいつかはと心細し」がそれで「まねび」は「弥生も末の七日、あけぼのの空朧々として」の直後

「月は有明けにて光をさまれるものから、富士の峰かすかに見えて、上野・谷中の花の梢、またいつかはと心細し」とされる。こちらは「(陰暦三月も末の二十七日、夜明け型の空は朧に霞んで)月は有明の月で光は薄らいでいるものの、富士山の峰がかすかに見えて、上野、谷中の花の梢も、またいつ(見られるだろう)かと心細く思われる」の意味になる。

作品自体は、自身も旅人?ということもあって奥の細道の方が好きだが、この部分については「何心なき空の景色も、ただ見る人から、艶にもすごくも見ゆるなりけり」(無心なはずの空の様子も、ただ見る人によって、美しくも悲しくも見えるのであった)の方が好きである。同じ富士山でも富士山を見る者の気持ち・感情によって美しく見えたり、雄大に見えたり、あるいは恐ろしく、場合によっては汚くも見えたりするが、富士山は富士山で会ってそれ以上でもそれ以下でもない。同じ富士山でも見る者の心のフィルターによって『富士山」は変わるのだ(新幹線で見る(新幹線から見える)富士山と被災地で見る(見える)富士山は明らかに違うだろう)。逆を言えば、人間にどう見られようと富士山の知ったことではないのだが「紫式部をまねぶ」とは、果たして松尾芭蕉には富士山は、富士山の峰はどのように見えていたのであろうか?推して知るべしである。

というわけで?ボクは見ないけど、こういった予備知識があれば大河ドラマもまた違った見方ができる?のでは。

 

なお松尾芭蕉の『芭蕉』は漢字で書かせる問題が出る、かつ「源氏物語ー紫式部」「枕草子ー清少納言」であるからして高校(大学も)受験生は注意するように。

 

 

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