教室ブログ

2010.11.30

老人讃歌

He was not to do anything in bad taste, the woman of the inn warned old Eguchi. He was not to put his finger into the mouth of the sleeping girl, or try anything else of that sort.

「たちの悪いいたずらはなさらないで下さいませよ、眠っている女の子の口に指を入れようとなさったりすることもいけませんよ、と宿の女は江口老人に念を押した。」(川端康成「眠れる美女」)

こんばんわ。楠見校スタッフBです。
ついこのあいだ知事選挙がありましたね。といっても投票にはいっておりません。
僕は、生まれてから一度も選挙という選挙にいったことがないですね。

面倒なのでネットで投票・集計してくれりゃいいのにとつくづく思います。
そうすれば、日本全国の集計結果は驚くほど変わってくるでしょうね。

衆・参議員の選挙もそうですが、そもそもよく知らないおっさんやおばちゃんに自分を代表してもらいたくないですね。何よりネットによるコミュニケーション技術の進展はくだらない間接民主制を変える力を持っているでしょうが。

さて、選挙に触発されてというのは嘘ですが(笑)、岩波のプラトン「国家」を久々に再読したのですが面白いですね。
プラトンといえば師匠のソクラテスと共に倫理の教科書なんかにも出てくるのですが、今から約2500年前の人です。

古代ギリシャの文化・科学・歴史を伝える書物は殆ど焼失して残っていないのですが、プラトンの著作だけは奇跡的にこの不運を免れていますね。
この才能に恵まれた著作家の作品が今日に伝えられることがなければ、古代ギリシャについての知識は絶望的なまでに貧弱になっていただろうといわれています。
しかしながら、プラトンの著作が古代ギリシャ(西欧社会のモデル)という現象を観測するためのほとんど唯一の望遠鏡になってしまったきらいはあるのですが。

プラトンは教養豊かな屈指の名門貴族の出身であり、ソクラテスの言動を見聞きして、それを対話編という形で書き残しました。もちろん、その大半はプラトンの創作、もしくはソクラテスの口を借りて、プラトンの哲学・政治理念を語ったものと考えたほうがいいといわれています。

それでは「国家」の英訳を読んでいきましょうか。冒頭のごく一部だけ取り上げますね。対話文であり平明に書かれているので、哲学の素養がなくとも誰にでも読むことはできます。英文そのものもいたってシンプルです。

登場人物は主人公のソクラテスと老人のケパロス、そしてケパロスの回想シーンに出てくる詩人のソフォクレスです。具体的な国家や正義論に入っていく前の導入部分になります。

‘With pleasure, Cephalus,’ I replied. ‘I love talking to the very old. It’s as if they are a long way ahead of us on a road which we too are probably going to have to travel. I feel we should learn from them what the road is like-whether it’s steep and rough going,or gentle and easy. In particular, I’d very much like to hear how it strikes you, now that you’ve actually reached the time of life which the poets call“old age,the threshold.” What is your report on it? Would you call it a difficult time of life?

‘I’ll tell you exactly how it strikes me, Socrates. There is a group of us who meet fairly often. We’re all about the same age,so we are following the words of the old proverb. When we meet, most of them start complainig; they say they miss the things they used to enjoy when they were young, and tey recall their sexual exploits, their drinking,their feasting, and everything connected with those pleasures. They get upset, as if they’d suffered some great loss – as if then they had led a wonderful life. whereas now they’re not alive at all. Some of them also complain about the lack respect shown by their families towards old age, and under this heading they recite a litany of grievances against old age.

I think they are putting the blame in the wrong place,Socrates. If old age were to blame, then not only would I have felt the same way about old age, but so would everyone else who has ever reached this age.

And yet I’ve met several people who are not like this – most notably Sophocles the poet. I was there once when someone asked him,

“How is your sex life, Sophocles?”Are you still capable of making love to a woman?”“Don’t talk about it, my good sir,”was Sophocles’ reply.“It is with the greatest relief that I have escaped it. Like escaping from a fierce and frenzied master.”

I thought that a good reply at that time, and I still think it a good one now. Old age is altogether a time of great peace and freedom from that sort of thing.

When our appetites fade, and loosen their grip on us, then what happens is exactly what Sophocles was talking about. It is a final release from a bunch of insane masters.

「ええそれはもう、ケパロス」とぼくは言った。「私には、高齢の方々と話をかわすことは歓びなのですよ。なぜなら、そういう方たちは、言ってみれば、やがてはおそらくわれわれも通らなければならない道を先に通られた方なのですから。その道がどのようなものなのか、――平坦でない険しい道なのか、それとも楽に行ける楽しい道なのかということを、伺っておかなければと思っていますのでね。とくにあなたからは、それがあなたにどのように思われるかを、ぜひ伺っておきたいのです。あなたはもう、詩人たちの言葉を借りれば『老いという敷居にさしかかっている』と言われるその齢(よわい)にまで達しておられるわけですから。それは人生のうちでもつらい時期なのか、それともあなたとしてはそれをどのように報告なされるのか、聞かせていただければありがたいですね」

「ソクラテスよ。それが私にどのように思えるか、ひとつ話してあげよう。われわれは、古い諺(ことわざ)のとおりに、同じくらいの年齢の者が何人かいっしょに集まることがよくあるのだが、そういう集まりの場合、われわれの大部分の者は、悲嘆にくれるのが常なのだ。若いころの快楽がいまはないことを嘆き、女とセックスしたり、酒を飲んだり、陽気に騒いだり、その他それに類することをあれこれやったのを思い出しながらね。そして彼らは、何か重大なものが奪い去られてしまったかのように、かつては幸福に生きていたが今は生きてさえいないかのように、なげき悲しむ。なかには、身内の者たちが老人を虐待するといってこぼす者も何人かあって、そうしたことにかこつけては、老年が自分たちにとってどれほど不幸の原因になっていることかと、綿々と訴え続けるのだ。」

「しかし、ソクラテス、どうもこの私には、そういう人たちは、本当の原因でないものを原因だと考えているように思えるのだよ。なぜって、もし老年が本当にそういったことの原因だとすれば、この私とても、そのかぎりでは同じ経験を味わったはずだし、また私だけでなく、およそこの年齢に達した人なら、みな同じことだろうからね。

けれども、げんに私はこれまでに、そうでない人々に何人か出会っているのだ。作家のソポクレスもその一人で、私はいつか、彼がある人から質問されているところに居合わせたことがある。

「どうですか、ソポクレス」とその男は言った。「愛欲の楽しみのほうは?あなたはまだ女とセックスすることができますか?」

ソポクレスは答えた。
「よしたまえ、君。私はそれから逃れ去ったことを、無上の歓びとしているのだ。例えてみれば、狂暴で猛々しいひとりの暴君の手から、やっと逃れおおせたようなもの」

私はそのとき、このソポクレスの答を名言だと思ったが、いまでもそう思う気持ちにかわりはない。まったくのところ、老年になると、その種の情念から解放されて、平和と自由がたっぷり与えられることになるからだ。

さまざまの欲望が緊張をやめて、ひとたびその力をゆるめたときに起るのは、まさしくソポクレスの言ったとおり、非常に数多くの気違いじみた暴君たちの手から、すっかり解放されるということにほかならない。

いかがでしたか。
ある男から愛欲について質問を受けたとき、詩人ソポクレスのその返事が印象に残ります。僕も老人になったときに使ってみたいですね。「よしたまえ、君」と(笑)

ソクラテス=プラトンの哲学でみなさんが聞いたことがあるものは、無知の知とかイデアとエロスについての考え方でしょうか。
イデアというのはいろいろ複雑なのですが、簡単にいうと個物を離れた普遍的なものが真の実体であり、個々の具体的な女とか犬とか机を貫いている概念、つまりイデアがあるいうことですね。

ソクラテス=プラトンの例えでは、エロスの力によって肉体の美を手にいれ、さらに多くの肉体の美を味わっていると、だんだんと肉体の奥にある、男たちの魂の美しさがわかってくるのだといわれております。

その魂をさらに遍歴していけば、個々の少年の肉体や精神を超えて一貫する、美そのものを求めるようになると。美そのものという理念、永遠に変わらない、絶対的な美の結晶のようなもの、これがイデアであると。そして、個々の肉体とか魂といった移ろいゆくものとは異なる、そのイデアを求めるのがエロスであるというわけですね。

今回は引用文も長くなりましたが、以前よりは読みやすかったと思います。
それではまた次回。


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