教室ブログ

2026.01.23

伊藤博文ってこんな人だった!?

こんにちは!2026年が始まりそろそろ受験が始まる季節がやってきました。去年は高市早苗氏が第104代内閣総理大臣に選出され、日本で、初めて女性が首相に就任することとなりましたよね。

そこで今回は!明治で代表する政治家。日本で初めての内閣総理大臣になった、伊藤博文について解説させていただきます。

長州藩(山口)の貧しい農家に生まれた伊藤博文。、16才で入塾した「松下村塾」という学校で彼の運命を変わります。人なつっこい博文は、先生の吉田松陰や仲間たちと意気投合し、勉強に励みました。
しかし「幕府はもういらない」と考える松陰が幕府に処刑され、「幕府はやばい。もっと外国
を知らないと!」と燃え上がった博文は4人の仲間とともにイギリスに留学します。

ところが、博文を待っていたのは絶望でした。イギリスは軍隊も工場も鉄道も……
何もかもが信じられないくらい発展していたのです。おまけに博文は英語力もゼロ😱
でも彼には「ハンパないコミュニケーション能力」という武器がありました。たちまちイギリス人と仲良くなり、最終的には英語力と外国の知識を手に入れます。

その半年後、長州藩(山口)が外国船にケンカを売って大ピンチになり、博文は慌てて帰国。
コミュ力と英語力を駆使してイギリス、フランス、オランダ、アメリカと停戦交渉し、大戦争を食い止めました。
開国したばかりの日本において、外国との交渉力はいちばん大事なものだったのです。
そんなこんなで政府のトップへとのぼりつめた博文は「憲法」を作るという大プロジェクトを任されます。
博文はドイツをはじめとした海外の憲法を学び、まず「内閣」という制度を作ります。そして
44才のときに自ら総理大臣となり、大日本帝国憲法をつくって現代につながる国のしくみを築いたのです。

ここまで凄い実績を作ってきた博文ですが、実はイギリス留学をする前のヤング伊藤博文は、テロリストでした。
吉田松陰を殺された怒りで、松下村塾の仲間と一緒に建設中のイギリス領事館に火をつけたり、学者を暗殺したりしていました。
でも、総理大臣になってから、暗殺のことをツッコまれると「え?吾輩はよく知らんよ?」と見事にとぼけて追及を逃れたそうです。

という伊藤博文には「ヤバすぎる過去」もありましたが、
最終的には日本の未来を見すえ、国の仕組みを作り上げた人物でした。
彼が活躍できた理由は、
生まれや才能だけではなく、
学ぶ力・伝える力・外国語を身につけようとした姿勢にあったと思います。

今の時代でも、
国語で考えを整理する力、
英語で世界とつながる力、
そしてコツコツ勉強を続ける力は、
将来必ず自分を助けてくれます。

このブログを読んでくれた皆さんが、
勉強を通して「社会で生き抜く力」を身につけてくれることを、
心から願っています。

受験生のみなさん、最後まであきらめずに頑張れ!

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