今日はアジアではなく、もっと遠くの地球の裏側。ブラジルの受験事情の話です。
ふだんの生活でブラジルの受験制度について考えることは、まずありませんよね。
でも調べてみると、遠い国なのに妙にリアルで、日本の子どもたちにも重なる部分がいくつかありました。
ブラジルには「エネム」という全国統一試験があります。
日本でいう共通テストのようなものですが、性格が少し違います。
全国の大学がこのエネムのスコアを使用する形が主流となります。
つまり、試験の結果がそのまま未来を決める。
この一点だけでも、国としての教育の姿勢がにじみます。
問題の幅は広く、社会問題や批判的思考を問う内容が多いそうです。
単なる暗記ではなく、社会をどう理解し、どう考えるかを試される。
学力だけでなく社会を生き抜く力を見ている試験なのだと感じました。
そして、ブラジルならではの試験日の象徴的な光景。
エネム当日の、遅刻者の映像です。
毎年、試験会場に間に合わず試験会場の前で泣き崩れる受験生の姿がニュースに流れます。
理由は単純な寝坊ではありません。
バスや電車が時間通りに来ない。そもそも交通機関が整っていない地域もある。
努力ではどうにもならない事情で、試験そのものが受けられないという社会的課題の映像です。
勉強以前の問題が横たわっている。
これは、貧困やインフラ不足が子どもの未来を奪う瞬間でもあります。
ブラジルでは生まれた家庭の経済状況が、そのまま子どもの教育環境を決めてしまいます。
裕福な家庭の子ども、 私立高校に通い、最新の教材や設備があり、先生の質も高い。
エネム対策の授業も充実しているようです。
家庭でも静かな勉強部屋があり、塾や家庭教師をつけることもできる。
一方で経済的に厳しい家庭の子どもは、 公立高校に通うしかない。
公立高校はまだまだ設備が不足している学校が沢山あるようです。
教科書が足りない、先生がストを起こして来ない日がある、授業の質も安定しない。
家では勉強机がなく、アルバイトや家事をしながら勉強する。
つまり、生まれた瞬間にどの学校に通えるかがほぼ決まってしまうのです。
努力以前に、スタートラインが違う。これが「経済格差=教育格差」という現実です。
同じゴールを目指していても、条件がまったく違う。これが教育格差のイメージです。
ブラジルの公立大学は無料で、しかも質が高いようです。
だからこそ競争が激しくなりますね。「無料の大学に入りたい。でも入れない。」
その現実の中で、多くの受験生は仕事をしながら勉強しています。
生活費を稼ぐために働き、夜に勉強。
疲れた体で参考書を開く。それでも未来をつかみたい。
この二重の負担は、東アジアの受験戦争とは違う苦しさがありますね。
貧困と格差が、勉強のすぐ隣にある。貧困はアジアのそれより根深いようです。
無料の公立大学に入れなければ私立大学が沢山あるから私立大学入る事もできる。
しかし、経済的に厳しい生徒は私立大学には学費を簡単には支払えないのです。
教育格差は大学入試だけで終わりません。
大学に入れなければ、ブラジルでも 就職の選択肢が狭まります。
就職できても給料が低く、生活が安定しない。
その子供達もまた教育環境に恵まれない状態になってしまう。
こうして、経済格差 → 教育格差 → 将来の格差という連鎖が続いてしまうのです。
それでも希望はあります。
インターネットやAIの広がりによって、知識へのアクセスが少しずつ平等になりつつあります。
学ぶという行為は国境を越え、場所や時間を選びません。
この可能性が、ほんの少しずつですが貧困の壁を揺らしているのでしょうか。
地球の裏側の話ですが、他人事ではありません。
日本でもじょじょに格差は広がっています。
ブラジルほど目に見えやすくないだけで、確実に存在します。
ENEMエネムを調べながら感じました。
受験はそれぞれの国で制度は違えども、受験の裏には各国の社会背景が映し出されます。
我々日本も、どのような選択をする事が個性ある子ども達にとって
より良い未来になるのか考えていく必要性を感じました。
そして改めて疑問に感じる事は、経済格差と教育格差の連鎖は世界的な問題なのか?という事です。