今から中国の高考(ガオカオ)に関するブログを書きたいと思うんですけど、
合わせて、その背景にある社会問題についても少し考察したいと思っています。
最近は日本の社会問題にフォーカスしてきましたが、
今回は海外の社会問題にも目を向けてみようと思い少し調べてみました。
そこで出てきたのが中国の大学受験、高考(ガオカオ)です。
日本でいう共通テストのような全国一斉試験ですね。
この高考(ガオカオ)は、毎年の受験者数が 1000万人以上 を超えると言われています。
日本の共通テストはだいたい年間50万人ぐらいなので、その規模感の違いがもう圧倒的です。
とてつもない人数が高考(ガオカオ)を受験する。超巨大な大学受験だと言えます。
そして中国の大学というのは、日本のように推薦・総合型選抜・個別入試がたくさんあるわけではなく、
基本的には 高考(ガオカオ)一本で進路が決まる仕組み が中心になっています。
この試験を突破できるかどうかで、人生が決まると言われるほどの、ものすごくシビアな試験です。
そして、バリバリの学歴社会。
こうした背景もあって、子どもたちが受けるプレッシャーは相当大きく、日本ではちょっと想像しにくいほど。
数十年前の日本の大学受験戦争に近い感覚かもしれないですが、高考はそれ以上の競争で間違いないでしょう。
高考(ガオカオ)でトップ校に入れれば、官僚になれたり、大企業に就職できる可能性が高い。
それだけに、いい大学に入ることは勝ち組になるための最重要ルートだと考えられています。
逆に普通の大学やそれ以下になると、就職難に直面しやすいと言われています。
さらに中国では、内巻(ネイジュアン)と呼ばれる終わりなき競争地獄のような状態が社会問題になっています。
大学に入っても競争は続き、卒業しても仕事がない。
若者失業率も20〜30%と言われています(※公式より実態は高いという声があります)。
その結果、躺平(タンピン)=寝そべり族と呼ばれる、
頑張っても報われないから何もしない若者が増えているとも言われています。
精神的に追い詰められた若者が拡大しているというわけです。
こうして見てみると、高考(ガオカオ)という制度は、中国の激しい競争社会を象徴しているように感じます。
共産党の国でありながら、実態は完全に国家資本主義で、就職も教育も熾烈な競争。
決して平等というわけではなく、複雑で巨大な格差社会があるのだと思いました。
とはいえ、これもよその国の話として済ませられる問題ではありません。
私自身、大阪に住んでいて、阪和線を利用する機会が多いのですが、
阪和線は、関西空港と接続しているので海外からの旅行者がとても多い路線でうす。
中国の人もとても多くて、電車の中では毎日中国語を聞いているぐらいです。
だからいつも、中国の人って本当にお金持ちだよな~~と、正直思ってしまっていました。
また、日本のタワーマンションに住んでいる中国の方々も沢山見かけるし、日本に移住している人も多い。
だから「中国は景気が良くて、お金持ちばかりなんだ」という印象をずっと持っていたんですよね。
でも、今回の高考(ガオカオ)や若者の競争、失業、格差の実態を見ると、
旅行に来られる一部の富裕層が目に入っていただけで、その裏では想像以上に多くの人が苦しんでいる社会
であることに気付かされます。
1000万人の受験者が序列化され、その中で勝ち残れなかった人たちは就職も厳しく、
さらに未婚化・少子化の問題にもつながっている。
中国では家を持っていないと結婚できないという文化が強く残っているため、
仕事がない若者は家を買えず、結婚も難しい。そのため家庭を持てない人が増え、格差も広がる。
本当に息苦しい社会構造だなと感じます。
ただ、これは日本も同じです。
日本もバブル崩壊以降、格差が広がり、非正規雇用も増え、社会が分断してきています。
日本だけが大変と考えがちですが、そうではなく、これはもう国際的な問題でもあるんじゃないかと感じます。
ちなみに昔、僕も2010年頃に北京に行ったことがあるのですが、その時に見た大気汚染は本当に衝撃的でした。
街全体が白い霧に包まれ、数十メートル先がぼやけるほど。
飛行機で上空に上がると、汚れた空気の層がはっきり見える。
その裏にはスラムのような地域もあって、急成長の影で多くの犠牲や格差が広がっていることを感じました。
今回、中国の高考(ガオカオ)を調べて改めて思ったのは、
社会問題を抱えているのは日本だけではなく、世界中で格差や貧困が広がっている
ということです。
中国も日本も多くの方々が苦しい生活を強いられている事を考えてみると、
国同士で言い争いをする前に、お互い国内の社会問題を改善する努力が必要なのかもしれませんね。
国内だけを見ていると分からないことも、海外に目を向けると見えてくる。
日本に来ている中国の人がお金持ちに見えても、
どの国でも旅行すらできない人達がきっと圧倒的多数なのではないでしょうか。
こうして海外の問題に触れてみると、日本の社会も少し客観的に見えるかもしれません。
世界が抱える問題の一部を知ることで、今の子どもたちや日本の教育についても考えるきっかけになるのではないかと感じました。