皆さんこんばんは。
堺市駅前校のブログでは、しばらく歴史シリーズを書いてきました。
縄文から現代までざっと日本の流れを見直すだけで、
時代がどう流れてきたのかが少しだけ見えた気がします。
で、これからしばらく何を書こうかとめちゃ悩んだ結果。
これからも暫くは、やっぱり社会の話を書いていこうかなと思いました。
もっと身近なこと。
もっと今起きている社会問題をテーマに、自分なりに考えてみたいと思います。
そして今日は、その第一歩としてAIの話です。
最近、ふと立ち止まることがあります。
文字を書くのも、絵を描くのも、動画を作るのも……
ほんまに全部AIができてしまう。
便利だと思う一方で、その凄まじさにゾッとする瞬間があります。
あっという間に、昨日の技術が古くなるような感覚。
本気でそう感じるスピードですよね。
学校ではプログラミングが必修になって、英語の授業も強化されました。
小学生から英語を学ぶ時代です。
「これからはプログラミングが必要だから」
「英語の読解力が必要だから読めるようになろう」
そんな風に言われ続けてきたのに、
気づけばAIがコードを書き、世界中の言語を数秒で訳す。
じゃあ、人が言葉を学ぶ意味って何なんだろう。
プログラミングって学ぶ意味あるの……?
そんな声にならない疑問がふと浮かんでくる。
英語が大切、プログラミングが必要だと言っていたのに、
いつの間にかAIがあっという間に学校教育を追い越してしまった印象です。
作文もAIが一瞬でそれっぽい文章を作る。
いや、非の打ちどころのない文章すら作ってしまう。
話し相手にもなってくれる。
便利すぎて、ちょっと怖いぐらいです。
相談相手がAIになる時代ですからね。
子どもたちは、大人が教えなくても自然とAIに触れていきます。
YouTubeもTikTokもSNSも、既にAIのフィルターが入っている世界。
気づいたら、本物と偽物の境界が見えづらくなる。
目を凝らして見ないと分からない。
最近、ショート動画で見たんです。
庭で遊ぶ小さな子どもが熊に襲われそうになって、
家の犬が子どもを助けに走る映像。
迫力があって、グッと来る。
でも次も、そのまた次も、似たような奇跡の映像が連続で出てくる。
見続けているうちに、胸の奥で違和感が膨らむんですよね。
「あれ……なんかおかしい。ちょっと気持ち悪い。」
たぶん、これがディープフェイク。
ものすごい精度で作られた生成AIの映像。
知らなければ信じてしまいそうになる。
有名人が怪しいビジネスを語る動画も、
よく聞くと声に違和感が残る。
「これもAIかぁ…」
本物と偽物の距離が、どんどん縮んでいる。
世界は便利になったけれど、
その裏で私たちは騙されない力を求められているのかもしれません。
そもそも、新聞やテレビはオワコンだと言われるようになり、
SNSで真実を探す時代になりました。
でも、そのSNSですらフェイクニュースだらけ。
何を信じていいのか分からない。
AIが文字を書き、映像を作る。
そのAIが生んだ文字や映像を、またAIが学習して何かを作る。
そんな循環が始まっているようです。
だからこそ、ネットを使うにも真実を見抜く力が必要なんだと思います。
このまま進めば、文学も音楽も映画も漫画も、
全部AIが作った世界になるのか?
塾の世界だって人気講師がAI先生に置き換わるのか?
夜、ふとそんなことを考えてしまう。
じゃあ、どうすればいいのか。
AIを否定して生きることは、もうできない。
かといって、丸ごとAIに任せるのも違う。
どこかでAIと共存していく方法を探さないといけない。
時代のスピードが速すぎて、立ち止まる暇もないけれど…
それでも学び続け考え続けないと、置いていかれる気がしています。
こんな時代を、皆さんはどう生きていくのでしょうか。
時間があれば、ぜひ聞かせてください。
お読みいただき、ありがとうございました。