2020年は、新型コロナウイルスの流行によって、私たちの生活が大きく変わった一年でしたね。
パンデミックなんて映画の世界の出来事でしたが、それが現実になった年でした。
1月、日本で初めての感染が確認され、続いて横浜港にはダイヤモンド・プリンセス号が入港しました。
2月の時点では、遠くのニュースのように感じていましたが、3月にWHOがパンデミックを宣言し、全国の学校に休校要請が出されました。この頃から、生活が一気に変わっていきました。
私も冬に北海道旅行のため飛行機の予約をしていましたが、行くことはできませんでした。
旅行に行ったら非常識。そんな空気が出始めていました。
私は3月ごろからマスクを着けはじめました。外でも家でも、まずマスク。
公園で子ども達が遊んでいても、みんなマスク。真夏でも外出時にはマスクをし、息苦しさを感じながら過ごしたのを覚えています。苦しかったな💦。
マスクは小さな子供にまで強要する事がありました。パンデミックであれど、これでいいのか?と違和感を感じてました。
さらに当時はマスクや消毒液がなかなか買えず、入荷してもすぐ売り切れ。
教室用の消毒液を買うために何件ものお店をまわりまわったのを覚えています。
オンラインでマスクを買おうとしても、異常な値上がり、一箱10000円以上なんてザラでした。
やがてマスクや手指の消毒はすっかり習慣になり、結果としてインフルエンザが減ったという話もありました。
4〜5月には緊急事態宣言が出され、外出自粛が続きました。梅田に行っても人がほどんどおらず、いつもの賑わいが完全に消えていました。海外からの観光客がいなくなり、自宅にこもる日本人。都市の雰囲気がここまで変わるのかと驚きました。
3密を避ける!が合言葉になり、会食時は会話を控える、県外ナンバーがSNSに晒される、といった極端な状況も生まれました。いわゆる自粛警察と呼ばれる動きがあり、社会全体が過敏になっていた印象があります。
学校は休校から分散登校へ。病院では面会禁止になり、家族であっても会えない期間が続きました。
ちょうどこの年私にも娘が産まれましたが、出産に立ち会う事は許されず、退院するまで一度も面会できませんでした。
塾でも例外ではなく、オンライン授業を導入しました。
授業をするべきか休校にするべきか議論がありました。そもそも出勤する事が悪という考えもありました。
授業は席の間隔を大きく空けたり、アクリル板でパーテーションを作り飛沫防止対策を実施する。教室を昼から開けて分散通塾をはかるなど、できる限りの対策をしながら授業を続けました。
「誰かが感染したらどうしよう💦」
という緊張感が常にあり、感染者が出た場合は社内やお客様に情報共有をするなど、今では考えられないほど慎重に行動していました。対面授業を続けるべきか、オンラインにすべきか、悩む日々でした。
しかしそのような状態でも、学校が休校で外出できないから、塾を開けて欲しい!!という保護者の声は実に多かった印象が今も残っています。
観光・飲食・宿泊業は大きな打撃を受け、街から明るさが消えたように感じました。
Go To キャンペーンが始まったのもこの頃です。感染リスクと経済対策のバランスが難しく、社会が更に分断されました。
東京オリンピックは延期。まさかオリンピックが中止になる可能性が出てくるなんて、想像もしませんでした。
景気の低迷。リーマンショック。東日本大震災。パンデミック。そしてオリンピック中止😢
日本という国全体が、運に見放されたように感じた人も多かったのではないでしょうか。
その後、2021年にはワクチン接種が始まり、2022年には徐々に入国制限が緩和されました。2023年5月には新型コロナが5類に移行し、少しずつ日常が戻ってきました。
マスクは2023年ごろまで多くの人が着用し続けており、マスクをつけることが文化のようになっていたと思います。
手指消毒も、多くの店舗で当たり前の風景になりました。
このように2020年はパンデミック一色と言っても過言ではありまえん。
日常がどれほど貴重だったのかを強く感じた一年でした。教室としても、感染対策と学びの継続に向き合い続けた一年でした。あの経験は、教育のあり方や学ぶ環境とは何かを考える大きなきっかけになったと感じています。
これからも、生徒のみなさんが安心して通える教室づくりを続けてまいります。