1999年。当時の私は大学3年生で、埼玉県春日部市でアルバイトをしていました。
アルバイトをしていた当時のお店では常にUSENが流れていて、当時のヒット曲が今でも耳に残っています。今日は、その頃を振り返りながら印象的だった3つの出来事を書きます。
1999年といえば、なんといっても宇多田ヒカル。
デビュー曲「Automatic」からの勢いはすさまじく、1stアルバム『First Love』は全世界で991万枚以上を売り上げて、
日本で最も多く売れたアルバムとして記録が破られていないようです。
宇多田ヒカルさんの曲を聞いた我々には衝撃が走りました。「この曲15歳の女の子が作ったの!?」
わずか15歳の少女が紡いだ歌詞と曲に圧倒され、世代を超えて人々が夢中になりました。
アルバイト先では一日中リクエストが流れていたのを覚えています。音楽が空気を支配する、そんな特別な時代でした。
もう一つ忘れられないのは、「1999年7の月に恐怖の大王が降りてくる」というノストラダムスの大予言です。
当時は本やテレビで繰り返し取り上げられ、「人類滅亡か?」と不安を抱く人も少なくありませんでした。
しかし、実際には時は静かに流れ、何も起きませんでしたね。
気づけば生活は変わらず続いていき、「大予言」も人々の記憶の中でネタのように語られるようになっていきました。
大きな不安に直面しても、結局は日常を守っていく人間の強さを学んだ気がします。
1999年9月、茨城県東海村で起こったJCO臨界事故。
日本の原子力産業史上、初めて「臨界」が制御不能に達し、放射線被ばくによる死者を出すという深刻な事故となりました。
当時のニュース映像は衝撃的で、現場で働く作業員の方々が甚大な被害を受けたことを知り、私は胸が苦しくなったのを覚えています。
「核」は戦争の象徴として広島・長崎の原爆の記憶が残る一方で、平和利用の名のもとに日常に入り込んでいました。
しかし、この事故によって「核」と共存するリスクが改めて浮き彫りになりました。
その後の福島第一原発事故(2011年)にもつながる、日本にとっての原子力のあり方を問う出来事であり、今もなお考え続けるべきテーマです。
1999年を振り返ると、音楽や社会不安、そして大事故。
それぞれは一見バラバラですが、共通しているのは「人は不安や混乱の中でも日常を守ろうとする」ことです。
今の生徒たちも、社会のニュースや未来への不安を抱えながら日常を過ごしています。
だからこそ私たち大人ができるのは、「学び」という形で支え、安心して未来を描ける環境をつくることだと思います。