教室ブログ

2025.09.09

1995年の出来事⚾🏟️🧢私は高校2年生。

1995年の出来事を振り返って

みなさん、こんにちは!個別指導WAM堺市駅前校です。
今回は私が高校2年生だった1995年の出来事を振り返ってみたいと思います。

阪神淡路大震災 ― 1月17日

1995年1月17日、早朝に阪神淡路大震災が発生しました。
ちょうどこの日は私の母の誕生日でもあり、強く記憶に残っています。私は神奈川県川崎市に住んでいたため、揺れを直接体感することはありませんでしたが、テレビをつけると全局が地震一色。ビルが倒壊し、高速道路が横倒しになっている映像は信じられないものでした。
「地震で町がここまで壊れるのか」という衝撃は、今も忘れられません。

地下鉄サリン事件とオウム真理教

同じ1995年、3月20日には東京の地下鉄でサリンがまかれるという、かつてない大事件が発生しました。多数の死傷者を出し、日本社会を震撼させた出来事です。
背景にはオウム真理教による数々の事件や事故がありました。松本サリン事件(1994年)、坂本弁護士一家殺害事件、信者への監禁・殺害など、振り返れば恐ろしいほどの犯罪が続いていました。1995年は「テロの恐怖」が日本国内でも現実となった年でした。

なぜ1990年代だったのか?

もし1970年だったら。
日本はまだ高度経済成長のただ中。未来は明るく、右肩上がりの社会に希望が溢れていた。豊かさを信じられる時代に、カルトが社会を揺るがすほど人々の心を掴む余地は少なかったのではないかと言われています。

もし2020年だったら。
私たちはスマホとSNSの世界に生きています。怪しい動きはすぐに拡散され、閉じられたカルトの世界は成立しにくいのではないでしょうか。情報の光が闇を照らし、巨大なテロに至る前に抑えられる可能性が高いかもしれません。

けれど1990年代は違いました。
バブル崩壊のあとの不況で社会は閉塞感に包まれ、物質的に満たされているのに心は空っぽ。冷戦が終わり「絶対的な価値」が失われた中で、人々は新しい拠り所を探していたのかもしれません。そこにテレビ中心の時代特有の「情報の偏り」が加わった。

未来への希望が揺らぎ、情報の光もまだ弱かった。
だからこそ1990年代は、「経済的閉塞感 × 精神的空虚 × 価値観の揺らぎ × 情報の偏り」が同時に重なり、人々を極端な思想へと誘う土壌が整ってしまったのではないでしょうか。

「がんばろうKOBE」とスポーツの力

震災後、神戸を勇気づけたスローガンが「がんばろうKOBE」でした。
オリックス・ブルーウェーブがその合言葉を掲げ、見事リーグ優勝を果たしました。スポーツが人々に与える勇気や希望の大きさを実感できた瞬間だったと思います。

海を渡った野茂英雄、そしてイチロー

もうひとつ明るいニュースといえば、野茂英雄投手のメジャーリーグ挑戦です。トルネード投法でMLBでも大活躍し、日本中が盛り上がりました。
イチローもまたオリックスで頭角を現し、野茂・イチローの活躍は当時の高校生だった私にとって誇らしく、嬉しいニュースでした。

1995年は大きな悲劇と、大きな希望が交錯した一年でした。
震災や事件で心を痛める一方、スポーツの世界では新しい挑戦と勇気が日本を元気づけてくれました。
私自身も、当時テレビに映る光景を通して「世の中には予測できないことが起きる」「でも人は立ち上がれる」ということを強く学んだように思います。

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