私が幼い頃、つまり1980年代の川崎。
地元のゲームセンターには、見るからにヤンキー(不良)と呼ばれる人たちがたむろしていました。
リーゼント、そりこみ、特攻服、ケンカ上等。
当時のヤンキーたちは、「怖い存在」なのにどこか誇らしげで、街の風景の一部だったように思う。
盆踊りやお祭りの夜には、彼らが爆音のバイクで現れ、
地元の空気が張り裂けそうなエンジンの稲妻音で一変する。
その切り裂くようなエンジン音に、子供の頃は緊張したものでした。
地元の中学校は荒れに荒れ、学校中の窓ガラスが破壊されてニュースになるほどの反抗と暴力がありました。
私が中学生になった90年代初頭、ヤンキーは減少していました。
ヤンキーは学年に数名いるかいないか。今思うとそれはそれで地元の歴史を背負う希少な生徒だったのかもしれません。
それでも、学校全体では10人前後のヤンキー的存在がいて、それは地元の「最後の系譜」のような空気をまとっていました。
でも、私たちの世代はもう80年代のヤンキー像に違和感を抱いていました。
長ラン、短ラン、ボンタン、そりこみ、リーゼント。
「あれってちょっとダサくない?」
そんなムードが、空気のように漂っていた。
高校生になると、時代はさらに変わっていきました。
ヤンキーは影をひそめ、代わりに女子高生や、コギャルたちが台頭していきました。
日サロで焼いた肌、プリクラ、厚底ブーツ、ルーズソックス。
やんちゃな男子も、バイクを手放し、ギャング風ファッションやB系スタイルへ。
音楽は完全に小室ファミリーと安室世代。
悪の象徴だったヤンキーは、都会的で洗練されたカルチャーに徐々に駆逐されていきました。
社会人になって以降、若者文化の変化に直接触れる機会は減ったけれど、
あの頃のような見るからにヤンキーは街から消えていたように思います。
バイクの音滅多にしない。
特攻服も見ない。
「不良」は目に見える形ではなくなっていった。
2010年代には、スマホとSNSが当たり前に。
「不良っぽさ」は、TikTokやInstagramの中で表現されるようになった。
見た目は普通でも、裏で繋がりを持ち、グループで行動する「見えない不良」へと進化したとも言えるのでしょうか。
暴走族の代わりに闇バイト。
ケンカの代わりに晒し合いやネットいじめ。
表面上はおとなしい。
でも、内面化した攻撃性や孤独が、より深く潜ってしまったようにも感じる。
最近では、「ヤンキー」は文化アイコンやネタとして復活してきているように思います。
例えばYouTubeでは、元ヤンが更生して教育系チャンネルを運営したり、TikTokではヤンキー風キャラが人気だったりする。
今の若者にとってヤンキーは、リアルな恐怖の対象ではなく、演じるもの、楽しむものなのかもしれないですね。
1980年代のヤンキーは、社会の矛盾や不安の象徴でもあった。
でも時代が変わるにつれ、
・価値観が変わり
・情報が爆発し
・多様性が広がり
不良は目立つ存在から隠れたコードに変化していった。
つまり、ヤンキーは「消えた」のではなく、形や姿を変えて、今も若者文化の中に生きているんだと思います。