こんにちは!磐城駅前校です。本日も一人でも多くの方の目に届くことを願い、
投稿させていただきます。
前回の続きです。
物質的なモノの為に頑張る事を手放す。その先に我々は何を追い求めればよいのか。
それは「正しくて楽しいもの」であります。
この「楽しい」とは人それぞれの「感覚」に依存するものです。楽しいの基準はありません。つまり「各個人の基準で生きる」という事です。
「好き勝手生きていいのか」という事ではありません。「自分も相手も家族も周りも世界も楽しいと思う事」を個人が選び、かつ「丁寧に生きる」という事、それを成す必要があるという事です。
「そんなの難しいよ」と思われるかもしれませんが、その難しい事をしなければなりません。「昔の方が良かった」と思うのも結構ですが、やがて時代に取り残されてしまう事は火を見るよりも明らかです。
この難しい事を成そうとしたとき、その入り口に立っただけで「人は同じ平地を歩いている」という感覚を少しずつ得る事が出来ます。
そして完璧を目指さないでください。10あるうちの1が出来るだけで十分です。やがて2になり3になったとき、世界は平和に近づくのだと思います。
そして「人類皆平等じゃなくてもいい」という事。つまり「平等になる事が目的ではなく、平等であろうとする意識を育てる」事が目的であるという事です。この地球は三次元で構成されていますから、平等になる事は出来ません。しかし、感覚的に「平等性」を得る事は出来ます。
自分も頑張っているし相手も頑張っている。みんな凄いんだという感覚を得る事が出来た時、人は「差」を手放す事が出来ます。
もっとこうなりたい、もっとああなりたい、それ自体が「誰が為になっている」事を探す努力は必要です。そして、それが自然な感覚になった時、世界平和が訪れるのではないでしょうか。
マザーテレサが言った「家族を愛しなさい」と言うのは、人類全員が属している「家族」というコミュニティの中で「一番近い人を愛する」その輪が広がってやがて世界平和につながるのだと、マザーテレサは言いたかったのだろうと思います。
また、近年「怒りたい人」が増えていると思います。その理由は「表現できるようになってきた」という事だと思っています。今までは物質的な何か、目的目標の為に我慢が出来た時代です。したし、もうそのような時代ではありません。だからみんなイライラしているのです。
その先に待つ「正しくて楽しい生き方」を全員が出来るようになった時、この地球はかくも豊かな星になるのだと思います。
最後に、世界平和の定義なんて言うモノはありません。また、「正しい・間違い」の定義も存在しません。なぜなら価値観とは「時代」が作るからです。
日本も戦国時代があったように「暴力」が正義であるという時代がありました。この時代は暴力が日本を覆い、今となっては混沌とした時代の様に思いますが、その頃は「普通」だったのです。
また、貧困があろうと国同士のいがみ合いがあろうと「これが世界平和なんだ」と思う事が出来れば、そこに差をつける事はなくなります。
このお話は「足りるを知る」と言うお話に繋がりますので、宜しければまたの機会にお話を致します。
今回は広義な話題故、とりとめもない話になってしまいましたが、一つでも参考になれば幸いです。
ありがとうございました。
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黒田 裕亮
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