
こんにちは。
個別指導WAM堺市駅前校です。
今日は少し踏み込んだ話をしていきたいと思います。
この30年間、根本的な社会構造は変わらないまま、変われないまま、時が過ぎたと言われています。
私たちの世代は、ロスジェネ世代と言われ、バブル崩壊後の不況と就職難によって、正社員として働くことが非常に困難な時代でした。
当時の多くの若者が非正規雇用やフリーターとして働いた結果、安定した職を得ることが難しくなった世代になり、
そして「失われた世代」と呼ばれるようになりました。
その中で改めて見返した『進撃の巨人』という作品。
これはフィクションであると同時に、まさにこの社会と、そして自分自身の姿を映す鏡なんだと実感する名作です。
作品に出てくる巨人は、もともとは人間でした。
人間は巨人の脊髄液を注入される事によって思考を奪われ、欲望のまま動き、暴れ、人食らう巨人になる。
そして私も、気づかないうちに、
いつからかこの巨人のように働き、
考えることをやめ、毎日をこなすことに追われていました。
目の前の数字、作業、責任、効率、成果、結果。
それを追いかけながら、「なぜ働いているのか」「何のために教育をしているのか」
そんな問いすら持たなくなっていたのかもしれない…
全力で働き、そして最後に残るのは孤独な虚無感…。
つまり私自身が巨人みたいな存在だったんです。
これをご覧になっている、あなたも、もしかしたら現代社会の巨人なのではないでしょうか。
一方で私は、教室を運営する側。
つまり、システムの中で「評価する側」にも立っています。
子どもたちの個性を大切にしたい、自由な発想を守りたい。
そう思っているはずなのに、
「こうあるべき」「結果が出ないと意味がないんじゃないのか?」
そんな言葉で枠を押しつけていた瞬間があったのではないか。
自由を語りながら、管理する。
夢を応援するふりをして、実のところ、新たな巨人を生み出しているだけなのかもしれない。マーレのように。😢
そして同時に私は、社会の中の「従う側」でもあります。
30年前の就職氷河期、失われた20年、さらに失われた10年。
いまや年功序列は崩れず、非正規雇用が当たり前になった。
最低賃金はよくなったものの、税や制度や物価高に押し潰されそうな生活。
「仕方ない」とつぶやくしかない。
親は年をとり、私も年を取る。本当に家族を養っていけるのだろうか。漠然とした不安…。
私自身も、誰かの作ったルールの中で、疑うことなく順応していただけ。
収容所にいるエルディア人のように。壁内の人類のように。
もしかしたら私は、考えることをやめていた。
考えているつもりだったが、実はたいして考えてなどいなかった。
「教育とは何か」
「働くとは何か」
「人が自由になるとはどういうことか」
そうした問いを忘れて、
ただ「無意識に正しいと思いこんでいた行動」をとることに全力を尽くしていたのかもしれない。
でもそれは、「哲学なき生」と言えるかもしれない。
やはり問いを持ち続けることは必要なんではないか。
思考し続けることは重要だ。
そして何より、矛盾した自分と向き合い考え続けること。
巨人であり、マーレであり、エルディア人である私。
その矛盾を受け入れた上で、
それでも前に進む選択をしたいですね。
壁の外を見に行きたい。
子どもたちと共に、何かを「信じ直す」場をつくりたい。
将来に夢や希望を持てるようにしたい!
管理ではなく対話を!効率ではなく意志を!
堺市駅前校で共に働く皆さん。ともに学ぶ生徒の皆さん。一緒に戦う教室長達。
日々、現場で戦うすべての皆さんへ。
私たちは、ときに自分の中の矛盾に苦しみますね。
でもその苦しみこそが、きっと人間である証であり、問いを手放さなかった証でもあるはずです。
教育とは、矛盾のなかで問い続けること。正解なんてないのかもしれないですよね。
生きるとは、曖昧なまま前に進むこと。
それでも、私たちは壁の外を見に行く者でありたい!!
そう信じて、心臓を捧げていきたいです。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
「考えるブログ」、たまに書いていきます。
明日は、「壁」について考えていきたいと思います。
個別指導WAM堺市駅前校