
こんにちは!
個別指導WAM堺市駅前校です😊
今回は「1950年代の日本」を一緒にのぞいてみようと思います🔍
この10年間、日本はゼロからの再出発をしながら、今の社会の土台を築いていきました🏗️
「戦争は他の国のこと」じゃなかった!
1950年、隣の朝鮮半島で戦争が起こりました。
北朝鮮 vs 韓国 という形で始まったこの戦争には、アメリカ・中国も加わり、
冷戦(れいせん)という東西の対立が表に出てくるきっかけとなったのです。
💡日本への影響は?
実はこの戦争のおかげで、日本国内の工場がフル稼働!
アメリカ軍からの注文(武器や食料など)が急増し、
「朝鮮特需(ちょうせんとくじゅ)」と呼ばれる大きな経済ブームが起きたのです💴💥
このブームによって、戦後の荒れた町に工場や商店が復活し、
高度経済成長への第一歩が始まりました🚀
「日本、ついに自立へ!」
日本は戦争に負けてから6年間、アメリカを中心とする連合国の占領下にありました。
でもこの会議で「日本はもう独立してもいいよ」と認められ、
1952年にようやく占領が終わります🎌
💡でも手放しでは喜べない…?
この講和会議に、中国やソ連は不参加。
つまり、アメリカ側の国だけが日本の独立を認めた形になり、
冷戦の中で日本が「西側(アメリカ側)」に組み込まれていく道が決まりました。
「独立」と引き換えに、日本はアメリカともっと深く結びつくことになったのです🤝
「国際社会の一員に戻る!」
戦争後、日本とソ連の国交は切れたままでした。
その関係を回復したのがこの日ソ共同宣言。
これでようやく日本は国際連合(国連)に加盟できたんです🌐✨
💡でも課題も残った…
ソ連と「平和条約」は結べず、北方領土問題は解決しませんでした。
つまり、仲直りしたようで完全じゃないという複雑な状態に💭
それでも、日本が再び“世界とつながる”スタートになったのは間違いありません👍
「国を守るってどういうこと?」
戦争が終わり、日本はアメリカと「安全保障条約(安保)」を結びました。
内容は、「アメリカ軍が日本に駐留して、日本を守る」というもの。
でもそれに対して「戦争に巻き込まれるのでは?」と反対の声が全国に広がり、
学生や市民による大規模なデモが起きたのが「安保闘争」💢🚶♀️🚶♂️
💡これは民主主義の実験だった!
多くの人が「国のあり方」に声を上げた。
「自分の意見を持ち、それを表現する」――それが民主主義の本質であり、
今の選挙や言論の自由につながっています📢🗳️
「戦後の日本に夢と熱狂を!」
1950年、日本シリーズがスタート!
巨人 vs 南海(今のソフトバンク)など、名勝負が続出🔥
💡ただの娯楽じゃない!
プロ野球は、戦争で傷ついた人々の心を元気にしたんです😊
「今日のヒーローは誰?」という話題が、
街に明るさと笑顔を取り戻していきました⚾
「未来への希望が生まれた!」
戦争が終わって、平和な日々が戻ると――
日本中で「家族をつくろう」という流れが広がり、
たくさんの人が結婚・出産しました💒🍼
💡この子たちが、今のお父さんお母さんかも!
このとき生まれた世代は「団塊の世代」と呼ばれ、
今の日本の社会や経済を支える中心的な存在になっています💼🏙️
1950年代の日本は…
🔹経済の再出発(朝鮮特需)
🔹独立と国際復帰(講和・日ソ宣言)
🔹市民の声と自由(安保闘争)
🔹希望とにぎわい(プロ野球・ベビーブーム)
まさに、ゼロから希望をつくる時代でした✨