教室ブログ

2025.06.04

戦後から三島由紀夫の自決まで—激動の25年と社会の問い

こんにちは。個別指導WAM堺市駅前校です。

今回は、戦後の日本がどのように変化していったのか、1945年の終戦から1970年の三島由紀夫自決までの25年間を振り返ります。

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🕊1945年:第二次世界大戦の終結

8月15日、天皇の玉音放送によって日本の敗戦が国民に伝えられました。焦土と化した日本には、GHQ(連合国軍総司令部)が進駐し、占領政策が始まります。

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📜1947年:日本国憲法施行

GHQの主導のもと、日本は新しい憲法を制定。戦争放棄をうたった「第9条」や、国民主権、基本的人権の尊重が柱となりました。これにより、日本は戦力を持たない平和国家として新たなスタートを切ります。

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🤝1951年:日米安全保障条約の締結

サンフランシスコ平和条約と同時に、日本とアメリカは日米安全保障条約を結びます。これは、日本の防衛をアメリカが担う代わりに、日本国内に米軍基地が置かれるという仕組みでした。経済成長に集中することができた一方、「主権は本当に回復したのか?」という問いが静かに残りました。

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🔥1960年:安保闘争—政治と社会への強烈な関心

安保条約の改定が国会で強行採決されたことに対して、学生・市民・労働者などが声をあげ、大規模な反対運動が全国に広がります。これが「安保闘争」です。

政治や社会に対して、若者たちが真剣に向き合い、考え、行動したこの動きは、「無関心ではいられない」という時代の空気を象徴していました。

女子大生が警官隊との衝突で亡くなったことは、「民主主義とは何か」「政治に声を届けるとはどういうことか」という問いを社会全体に投げかけました。

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🎓1968年〜:学生運動の広がりと東大闘争

安保闘争の流れを引き継ぎ、大学の中でも「学費」「管理社会」「教育のあり方」などへの疑問が噴き出し、全国の学生たちが立ち上がります。

その象徴が「東大全共闘」による東大闘争。1969年、学生たちは安田講堂に立てこもり、機動隊との激しい衝突が起こりました。テレビ中継を通して、全国がその様子を見つめていました。これらの運動の根底には、「生きるとは何か」「社会とどう関わるのか」という深い問いがあったのではないでしょうか。

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📘1970年:三島由紀夫の自決—国家・個人・思想の衝突点

作家・三島由紀夫は、自衛隊市ヶ谷駐屯地で、憲法改正と天皇中心の国家への回帰を訴える演説の後、自決しました。

その行動は過激でしたが、「戦後のあり方」「国のかたち」「精神の危機」といった本質的なテーマを日本社会に突きつけました。

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🌀時代を貫いたのは、社会と思想への関心”

この25年間は、政治や社会、そして人間の在り方に深く関心を持った人々が、自らの問いに突き動かされて行動した時代でした。

「黙って従う」ことではなく、「なぜこうなっているのか」「どうあるべきなのか」を考え、声をあげる。

そこには、今の私たちが失いかけている熱や信念があったのかもしれません。

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🪧今の私たちは、どうだろう?

・政治に対して関心を持っているだろうか? ・社会を動かす力は、誰にあると思っているだろうか? ・私たちは、今を「当たり前」だと思っていないか?

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📍次回予告:「ベトナム戦争」——反戦運動とアメリカの敗戦?

 

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