教室ブログ

2021.05.20

vol.2:子供はほめて伸ばすか?叱って伸ばすか?

塾の教室長業務、さらに言えば教室長を束ねる統括業務をしていると時として叱らなくてはならない場面があります。
もちろん生徒に対してもそうですが叱り方に正解はあるのか?常に考えさせられます。

 

私は来年で50歳を迎えます。カビの生えた話ですが私が小中学生の頃はおふざけが過ぎると、教室の隅や廊下に正座はもちろん、恩師のげんこつをもらうこれらの罰は当たり前でした。

保護者の方で当時の印象深い体験があればお聞かせください。昭和の話に花を咲かせましょう(笑)

 

ここまではよく聞く話しかもしれません。もちろん昔とはいえ学校によって状況は違ったと思いますが、罰(廊下に立たされたりげんこつ等の力)で生徒をコントロールしていると、最後は罰がなければ動かなくなります。もちろん受けた生徒の自主性や自尊心は喪失し,心がすさんでいくのも多く見てきました。

 

私自身O型でよく言えば温厚な性格、悪く言えばマイペースですので当時からこのような信頼関係なき体罰に疑問を持っていました。

先日他教室の保護者から聞いた話ですが、驚くことに今でも一部のスポーツ部活動ではこの名残があることも残念ながら聞きました。

そんなことも聞きながら、ここ最近、教室長会議でよく考えることがあります。叱る行為が苦手という私自身、「もしかすると温厚というエスケープゾーンを盾にした無関心者だったらどうしよう」「そういう私自身が本当に保護者や生徒の話を傾聴できているのか?」と。

叱らないといけない場面においてひと呼吸考えます。「私は本当に人の話を傾聴できているのか?」

 

“傾聴”

 

他のwebサイトにはこう書いてます。

傾聴=もともとカウンセリングにおけるコミュニケーション技能の1つ。

傾聴の目的は相手を理解することにあります。それにより話し手である相手が自分自身に対する理解を深め、建設的な行動がとれるようになるようサポートする。傾聴で大切なのは言葉以外の行動に注意を向け、それから言葉によるメッセージに最後まで耳を傾け、理解する。 そして言葉の背後にある感情も受け止め、共感を示すことです。傾聴はカウンセリングだけでなく、他者とのコミュニケーションを行う上で最も大切な行為の一つです。

 

しかし、これがなかなか難しい。聞いて行動するとなれば、相当意識しないと経験に基づいた感性が邪魔して聞き流してしまいそうになる…危ない危ない。

 

私は傾聴とは、言い換えると「承認」だと思っています。

 

ご存じの方も多いと思いますが、私のよく見るYouTuberの中に鴨頭嘉人という人がいて、その人の話が好きでよく見ています。

2年前は塾の上司や同僚と松山市まで講演を聞きに行き、彼の熱気に触れたくて一番に並び最前列に座りました。その中で鴨頭さんが「褒める・叱る」の話をしていたので、同じ話を書きたいと思います。

 

これは教育業界でも使えますし、ぜひ共有したい内容と思っています。長々と書いて申し訳ありませんが今日のブログの表題の”ほめて伸ばす?or叱って伸ばす?”にも関連します。

 

承認とは”その人を存在を認めること”です。その人の存在を認めているから傾聴することができる、と考えることができます。他人に無関心な人にはできないことです。

 

この「承認」に、それぞれ説明を加えると

・やった結果を認めてあげる→結果承認

・結果が出たことに対するプロセスを認めること→プロセス承認

・結果が出なくても、行為努力を認めること→行為承認

・行動に表れていなくても、やろうとした意識を認めてあげる→意識承認

・その人の存在自体を認めること→存在承認

 

この「承認」を、それぞれセリフに置き換えると、結果承認とは成績が上がったことを認めてあげ、プロセス承認とは勉強の手法や過程を変えたことを認めてあげ、行動承認とは成果には結びつかなかったけどよく努力したと認め、意識承認とは、君が悔しい思いしているのは先生知ってるからねと認めてあげ、存在承認とは存在自体を認めてあげるということです。

 

 

ここで伝えたいのは生徒の存在をまず私たち大人が“承認”するというのがいかに大切か、ということです。「傾聴」は、まさに「存在承認」であり、承認の土台にあるもの、ということです。

 

長くなっていますが今日のブログの結論としては

「承認」というのは、「日常のコミュニケーション」であり、「褒める、叱る」というのは、「特別なコミュニケーション」である。

ということです。

 

「褒める、叱る」というのは、何か褒めるようなことや叱るようなことがあって初めて行えるものであり、それを相手が”受け取るか、受け取らないか”は”「日常」で「承認」をしているかしていないか”によって変わります。

「承認」を別の言葉に置き換えると、「自分を見てくれているという感覚」です。自分を見てくれている人から褒められると、とても嬉しくなります。自分を見てくれている人から叱られると、心から反省しますし、愛を感じます。

 

つまり、褒めて伸ばす?叱って伸ばす?は、「両方正解」です。ただし、相手が見てくれているという感覚をもっていることが前提です。

生徒が「この人は私を見てくれている」という想いを感じ取れる大人から褒められたら、必ず成長します。「見守ってくれている」という安心感がある大人からはたとえ叱られても“スッと”受け入れてくれるんですね。

 

これが2年前、私木村が松山市の講演で最前列で鴨頭さんから聞き、私も教育の場で必ず実践できる大人になろうと思えた話であり、承認なくして生徒との信頼関係を築くことはできないと今でも大切にしていることです。

 

 

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