教室ブログ

2019.09.06

大岡さんのエッセイ

こんにちは。Wam西浜校です。不安定な空模様が「カラッと」入れ変わり、今度は終盤の力を振り絞る様な残暑が続いてい

 

ますね。あちこちのスーパーでは、サンマ、栗、釜飯、サツマイモ等、秋の味覚のディスプレイが顔を揃え始めていますが、

 

まだまだ、暑さに油断は禁物ですね。さて、9月に入り、一部の学校では一足早く中間テスト(前後期制では期末テスト)

 

を実施する学校が有ります。関連で扱った国語の教材で、大岡信さんの「言葉の力」と言うエッセイが有りました。ほんの数

 

ページ程の文章ではあるのですが、先ず一つ、「言葉遣いやその背景を常に意識する大切さ」が私には受け取れた次第です。

 

どんな言葉が「美しく」「正しい」と言うのは決まっていないが、それを発する人間によって「美しさ」「正しさ」もっと言

 

えば、「説得力」や「言葉の重み」が変わってくると、私には解釈出来ました。大岡さんは「人間全体の世界をいやおうなし

 

に背負ってしまうところにあるからである(ママ)」と述べておりますが、「言葉遣い」にその人の「人生」や「人間性」が

 

如実に良くも悪くも現れてしまうと考えると、凄く恐ろしいなと感じます。作中にて、染色家の志村さんとのやり取りの中で

 

「「桜」から色を取り出した」との言葉に、大岡さんは「桜」の「花びら」を煮詰めて色を取り出したのだろうと考えたそう

 

です。でも実は「桜」の「皮」から取り出したとの事でした。私個人的には、言葉の「行き違い」の面白い所だな、と思った

 

りします。志村さん曰く、この色は「時期限定」の桜が咲く直前の皮を貰ってきて染めるとの事です。「桜」と言う言葉だけ

 

だと、多分私自身もそう思いこんでしまっていたのではないか?と思います。「皮」とその言葉に存在する背景、いわば相手

 

の方からの話を拝聴する事によって、新しい「知識」や「想像力」を貰えたりするきっかけになるのではないかと感じまし

 

た。行き違ってみて、面白い反面、思いこんでそのまま看過してしまったら・・・と考えると、自身の言葉遣いもそうです

 

が、相手の言葉にも可能な限り耳を傾けないと、新しい背景を窺い知る機会を逸してもしまうから、やはり凄く恐ろしいな、

 

と少し「自戒」の念も感じました。ですが、実際はその行き違い→修正(反省)の繰り返しで、その繰り返しが大事なのかと

 

思います。「桜は木全体でピンクになっている(少し約しました)」これを言葉に置き換えると、言い訳ではないが、お互い

 

の背景交換の為に、「説明する事を面倒臭がらない努力」が必要なのでしょうか・・・?(私自身もですね(笑))まだま

 

だ、暑いので体調には十分に気を付けて下さい。

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