教室ブログ

2015.05.17

無関心の反対

生徒が帰り、静けさを取り戻した教室で、たまに先生たちと遅くまで残って話をすることがあります。

 

もっぱら話題は生徒たちの話で、あの子はどうだこの子はどうだ、どういう風に教えるべきなのか、どんな風にしかるべきなのか、なんてことをつらつらと。先生たちの苦悩や葛藤、工夫を聞きながら、「色々と考えてくれてるんだなぁ」とうれしく思うと共に、僕も勉強させてもらっています。

 

十人十色とはよく言ったもので、生徒にしても先生にしても、一人ひとり特徴があって、考え方や性格や感じ方、全てが何かしら異なっている。

 

僕はあえて、授業のスタイルや生徒への接し方に関しては、ほとんど先生方の好きなようにお任せしています。もちろん、大切なことや必ずしてほしいこと、先生が変わっても授業内容を引き継げるような体制づくりは徹底していますが、例えば生徒へのアプローチの仕方であったり接し方、あるいは授業のスタイルに関しては、先生方一人ひとりの判断に一任しています。

 

ですので、うちの教室には本当に色んなスタイルの先生がそろっています。厳しい先生、やさしい先生、生徒を引っ張ってくれる先生、一緒になって歩んでくれる先生。

 

どれだけ授業がうまい先生でも、どれだけ賢い先生でも、どれだけ生徒に好かれやすい先生でも、必ず「合わない」生徒って出てくると思うんです。どんな先生にも受け取りきれないところっているはずですから。そこでこぼれてしまった生徒というのは、学校では中々拾いきれない部分はあるのかなと。そこを拾うことができるのが個別指導のいいところだなって、最近実感しています。

 

僕は人生を通して「先生」という存在に恵まれてきたと思っています。幼稚園から高校卒業まで、全ての担任の先生の名前を覚えてますし、ほんとに皆さんにお世話になって、色んなところで助けてもらいました。

 

学校に行かなくなったとき、わざわざ家まで来て話を聞いてくれたり
激励の手紙を書いてくれたり
交換ノートや電話で悩みを聞いてくれたり

中卒で働きに出てもおかしくないような状態からなんとか高校を見つけてくれて、ぶち込んでくれたり(感謝です、ホントに)。

 

そこまでしてくれる先生にこうも恵まれ続けたのって、本当にラッキーだったと思うんです。ただの一人だって意地の悪い先生なんていなかった。少し運が悪ければ、僕はこうして教育の立場に立てるような人間ではなかったかもしれない。

 

だからこそ、今この立場に立って。

なんというか、本当に色んな生徒がいます。

当時の自分を思い出すような。

 

学校をしょっちゅうサボったり。
無気力で、何に対しても冷めていたり。
僕の場合は、親が忙しかったので。それをいいことにむちゃくちゃして。

 

僕はそんな中学時代に塾に通わされたんですけど(週5で)。
塾の先生は好きでしたけどね。でも、事務の人と喧嘩して、半年ぐらいでやめました。

 

なんていうか、あの人に言っていた事は正しいのかもしれない。
でも、子供に正論振りかざすだけじゃ響かないと思うんです。少なくとも僕はそうだった。

だってわがまま気ままで繊細なんですから。子供は。

 

どうしたら良いのかなんて、正直分からないです。
まだまだ若造なんで、僕も。

でも誰一人として僕は見捨てるような事はしたくない。

 

どんな弱さだって、わがままだって、矛盾だって、受け止めてあげたい。

僕はそういう人に救ってもらえたから。
僕もそういう先生でありたい。

 

うちには、それを甘いという先生もいます。
ちゃんと叱って、厳しく指導して、時には無理やりにでもさせないといけないんだと。

実際、その通りなんだと思います。

 

そういう先生は必要なはずで。
でも、それでも『僕』が成りたいのは「そういう先生」ではない。

だから、僕の甘い教育観では受け取りきれない生徒は、その先生に受け取ってもらって。

 

その先生じゃ受け取りきれない生徒は、僕が拾ってあげて。

そうやって一人でも多くの生徒を受け止めてあげられるように。

 

改めまして、Wam庄内校はそんな教室です。

僕がそんなやつなので。

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