教室ブログ

2024.02.02

【身の回りで起きた不幸との向き合い方#終】

こんにちは!磐城駅前校です。本日も一人でも多くの方の目に届くことを願い、

投稿させていただきます。

 

前回の続きです。

 

前回は我々が為すべきことは「倍働いて倍楽しむ」と言うお話でした。

これを薄情だと思いますか?私は思いません。

 

人間は感情の動物です。そして日本人は特に同情心が強い民族であると言えます。

昔はそれでよかったのです。連帯責任で大成を成すことが時代です。

しかし今は違います。不幸があったならその倍以上の働きによって助ける事。

 

薄情な状態と言うのは「求められてもいない心配をする事」だと思います。

不幸に見える事があったかもしれません。しかし、現地の人達は今を必死で生きています。何とか立て直そうと自らが努力をしているのです。

 

その姿を「心配の目で見る」事自体が「薄情」だと私は思います。「心配」とは「信頼していない」という事です。信頼していない方が薄情だとは思いませんか?

 

この世の中で最高のボランティアは「自分の機嫌は自分で取る」という事です。そして「不幸があっても笑顔で過ごす」という事です。その努力が出来る人が、現代を生き抜く事が出来る人です。

 

薄情ではありません。悲しいし辛いこともあります。しかし「強すぎる不安」によって行動を成し、「過剰な心配」によって迷惑を掛けるよりも、私は「倍働いて倍楽しむ」方が不幸があった方々に対してのせめてものボランティアだと思っています。

 

ある方は言います。「身内に不幸があったけれども、仕事があって助かった」。その人は仕事を大切にしていました。家族も大切にしていました。しかし身内に不幸があった時「仕事に逃げる事が出来た」のです。その人は仕事がある事に感謝をしていました。

 

もし家族だけを過剰に大切にし、仕事を疎かにしていたとします。身内の不幸に打ちひしがれ、仕事に行けなくなります。そうなるとお給料が出ません。生活が出来なくなります。

その状態を誰が望みますか?

 

「生きている人間は働かなければならない」という事です。その日常を大切にし、感謝し、謳歌する事。それ自体が「最大のボランティア」と私は思っています。

 

もし、このブログをご覧になってい居る方で「強すぎる不安・過剰な心配」があるかもしれないと思った方は、よく考えてみて下さい。それは「誰のためにしていますか?」もしかしたら「自分の為にしていませんか?」という事です。

 

ここは自分と向き合うという作業になりますから、一概には言えません。しかし往々にして「自分の為にしている」事が多いです。

 

もし適切に不安を感じている場合、自分や周りの身を守る為に適切な行動が取れます。もし適切に心配をしている場合、理性的な行動を取り、自分以外の他者の不安を煽るような行為は差し控える事でしょう。

 

感情とは物差しで測る事が出来ません。答えもありません。だから「自分と向き合い他者と向き合う」必要があります。

 

よくよく自分の身の振り方を客観的に見てみましょう。自分も楽しく周りも笑顔になるような行動が出来ていますか?不安と向き合うとはそういう事です。

 

2024年も様々な事が起きるでしょう。良い事も悪い事も起きます。それでも尚「自分の機嫌は自分で取る」事を世界中の人間が出来るようになった時、世界に平和が訪れるのだと思います。

 

ありがとうございました。

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