教室ブログ

2022.07.29

【意味】

 こんにちは。WAM河北校です。7月もあと数日で終わりですね。先週の土曜日は土用の丑の日かつ、暦の上で

は大暑(たいしょ)でしたね。月並みですが、皆さんウナギは食べられたでしょうか?っ私は、食事・栄養の足

しに小さなウナギ丼を食べた位でした(笑)

また、大寒(だいかん)に反し、一年で一番暑いとされる形上の境目を取り敢えずは過ぎましたが、お供にマス

クが日常化したここ最近は、室内外問わず、体に熱がたまらない様に自身を十二分に労わる事が、大事ですね。

夏休みが始まり、一週間が過ぎようとしておりますが、計画的に過ごしてまいりましょう!「計画」と申しまし

たが・・・皆さん個々に色々な教科から沢山の「宿題」が出ていると思います。好き・得意・嫌い・苦手等、自

分の「趣向」や「順番」で行っている途上でしょうか?まだ、手を付けられて居ない、もしくは敬遠し、最後ま

で手付かず終いだったという事も可能性としてあるかもしれません。「勉強」するにあたっても、「何でこんな

事しなければならないの!?」と愚痴では無いですが(笑)ついつい本音が出てしまう事もそれは人としては

「普通」でしょうね。先日話題の素材として「アルバイト」を引き合いに出しましたが、「仕事」をする様にな

れば、そう言う事は普通に出てくるものでは無いか?と私自身思います。野村克也さんの言葉をお借りしますが

「「仕事さえ出来ればいい」と言う考えは、どの世界でも通用しない(ママ)」と言う言葉を拝見しました。恐

らく、「仕事」をする様になれば、「こんなことやって何の意味もないやん(一体何の意味が有るの?)」と言

う問題に突き当たる事が出てくるかもしれません。私事ですが、実際私も自懐してみるとそうでした(汗)拝読

の中で、長嶋茂雄さんのジャイアンツ現役時代に監督を務めていた川上哲治さんは、トイレのスリッパをきちん

と揃える事に関して口酸っぱく指導していたそうです。たかがトイレのスリッパを揃える事自体、大した事が無

いでしょうし、一種の「精神論」かも知れませんが、後の人の事を考える心構えが、チームワークや人間力を育

てると考えたからだろうと野村さんは述懐されています。ここからは私自身の推測も入りますが、「その習慣」

が他の場面においても「他の人の事を考える習慣」と言う、「応用」として生き続けるのではないか?と思うの

です。一つ一つの「仕事」と言う物を「単純」な「一つの行為」として切り離して見做してしまうと、いつまで

経っても「その仕事」を行う伏線的な意味、言い換えれば、目的の達成やトラブルの回避の為に必要なプロセス

の一部分出である事「理解」もしくは、「この仕事」は何故必要なのだろうか?その疑問を「自身」の「頭」で

感じる事にたどり着く事すら出来ないかもしれません。私見が入りますが、「出来れば良い仕事」と言うのは恐

らく、「最低限必須の仕事」だと考えます。褒められる事ではないでしょうが、世間一般・普遍的に見て、「出

来て当たり前でしょ!?」としか思われないのが「普通」の内容だと思うのです。違う評価を頂くには、そこか

らの自身の「気づき」による「+α」的な物が必要だと感じる次第です。また、野村さんは「野球が上手い」「結

果を残す事しか考えていない」人の事を「野球しか知らない」「知ろうとしない」者と言い換えております。プ

ロ野球界においての「仕事」は恐らく「野球」でしょうから、前述の物言いは「他の」「仕事」に言い換えて

も、自然に当てはまる気がします。確かに違う畑に住まわれる方々の当事者意識に関しては分かりかねますが、

野村さんの言葉にせよ、川上さんのトイレのスリッパの行為にせよ、言わずもがなでしょうが、「行為の向こう

側」に居る「相手」を意識しなさい、と言う事なのだろうと思います。「行為」によって「相手」を「意識」出

来るのは「自分」の「頭脳」でしかないわけで、それを「他者」に委ねてしまうとそれこそ、「自分軸」が持て

なくなってしまう・・・否「持たなくなってしまう」と表現した方が正しいでしょうか?しかし、反面、野村さ

んの文脈に触れて更に感じる事は、相手に「考えさせる機会」を与える事は「指導者」の「腕次第」でもある、

言う気概も伝わって来ます。「あの人、何でこんな色々な事に気付けるの?」と言う方は、まだ「見えないむこ

う側」の人を意識して来た事の「積み重ね」が尋常ではないのだろうか?とも思いますし、「自分軸」があり

「時間的」な物事が比較的上手く運んでいる様に見受けられます。逆に自分の「都合」や「忙しさ」をアピール

するばかりで、相手の「都合」や「忙しさ」に無関心の方は「他者」に守られていたり、操られているのはない

か?と言う感覚が無く、「見たままの事」でしか物事を判断出来なくなってしまう、もしくは判断する「習慣」

がついてしまうのではないか?とつくづく思いますし、そういう意味では「何故勉強するのか?」と思うので

す。一つ一つの「行為」や「仕事」単独ではおびただしい「無駄」に見えるでしょうが、ある程度の時間を経

て、「意味」を見出す事の大切さが、野村さんの「こ

の言葉」にあると思います。以前私が申した言葉ですと、「正統的周辺業務」ですね。宿題「一つ一つ」単独で

は今行っているその場では「意味」がないかも知れませんが、「何某か」の「違う形」で役に立てば、「意味」

が有ったのではないかと思います。「要領の良さ」や「器用」さの元、「感受性」と言う物はお金では買えない

ですから。暑い日が続きますので、体調には十分に気を付けて下さい。

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