教室ブログ

2020.09.12

【叱ると怒るの違いについて】君の周りに暴言を吐く人はいないか


◆叱られたときに思い出してほしい

叱られたとき、君の周りの大人は、「君のためを思っているからだ」とか、そんなことを言う。

叱られた君は、心の中で「何を馬鹿なことを」と思うかもしれないけれど、これは半分は嘘だが、半分は本音だ。

先に述べておくが、「叱られる」ことと「怒られる」ことは違う。

大人が子供を叱るのは、主に「教育的な目的があって」のことで、人間が怒るのは、「相手によって不利益が及んだ」からである。

例えば、小さいころ、買ってもらったおもちゃを壊してしまったときに、どのように叱られた、あるいは怒られただろう。

ケース①
「乱暴に扱ったから壊れたんだよ。そうやって乱暴に扱うならもう買ってあげないよ」

→これは叱られている。何故なら、壊れた原因をしっかりと示してくれているからだ。これなら、乱暴に扱うという行為を叱っているのである。

ケース②
「あんた何やってんの! また壊して!もう買ってあげない!」

→これは怒られている。親のお金を無駄にしているわけだから、親からしたらたまったものではないのだ。

ケース①の方、つまり「叱られる」ということは、その行為を続けた場合に、君によくない影響がある、ということだ。
つまるところ、今後の君に悪影響がないようにしようしているわけだ。

対してケース②の方は、君に反省を促そうという教育的な目的ではなく、君がやった行為に対してむかついているのだ。
ここに教育的な目的は一切ない。

だが忘れてはいけないのは、大人(当然君の親)も、人間だということ。
「感情」というものがある。
理不尽に不利益を被ったら、そりゃキレたくもなる。

そしてケース①とケース②のようにどっちかに振り切ったセリフを言える人は少ない。
大抵の場合は、ケース①と②が混ざったような、つまり「叱る」でもあり「怒る」でもあるような言葉を使ってしまう。

だから、半分嘘で半分本音だと言ったのだ。

問題はそれの良し悪しではない。
その「叱る」とか「怒る」という行為の中に、「暴言」を混ぜている人はいないかどうか。
僕は、これに注目したい。

「叱られる」のも「怒られる」のも、良い気持ちではない。
しかし、これを禁止にするのは絶対に間違えているし、不可能であるとさえ思う。

ただ、「暴言」は違う。
君を傷つける言葉が吐かれるのは絶対に間違えている。
それに君が知らずに落ち込んでしまうのは、間違えているのである。

◆暴言は君のためにならない。

上記の通り、人は人である以上、感情を無くすことはできない。

感情的になることは、誰にだってある。

 

だからつい出てしまった「暴言」を揚げ足を取るように、追及したいわけではない。

 

だが、世の中の人には「暴言」を日常的に「教育目的だと思い込んで」使っている人間もいる。

全てではないが、少なからずいる。

そういう人は「これは躾だ」なんてもっともらしいことを言う。

はっきり言うと、暴言は人のためにならない。

 

傷つくだけで、何の意味もない。

だってそうだ。

暴言を言われて成長など出来るはずがないのだ。

 

計算問題が出来なくて、「なぜできないんだ馬鹿」と言われたところで、計算ができるようになるのか。

「悔しいと思わせて勉強させるんだ」なんて思うかもしれないけれど、正しいやり方を教えずに出来るようになるわけがないのだ。

 

だから、暴言で押し付けようとする人がいたら、距離を取った方がいい。

それが難しいなら、だれかに相談しよう。

傷ついて、自分の良さを見失ってしまったら、それはとても悲しいことだ。

 

もし、いつも暴言を吐いている人が周りにいるなら気を付けてほしい。

もし、それが大人でなく、君の友達だったなら、今のうちに止めてあげてほしい。

そして、もし、それが君自身だったなら。

絶対に治した方がいい。

大人になったら、もう手遅れだ。

治しようがない。

治しようがなくなった大人なんて、この世にはたくさんいる。

その一人にならないように、心から気を付けてほしい。

 

 

 

 

 

 

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