教室ブログ

2014.10.26

近頃の子供たちは・・・。

この仕事についていると、「昨今の教育事情」にはやはり敏感になります。

 

新聞やニュースではもちろん、教育に関する論評は少し探せばすぐに見つけることができます。というのも、「昨今の日本の教育」を語るメディアや知識人や教育業界人はとても多い。で、そんな人たちの主張にはだいたい共通点が見られます。

つまるところ、「近頃の若い者は・・・」という話をしてる。今の子供たちが、自分たちが子供だった頃に比べてどれだけ学力が劣っており、ゆとり教育がその原因で、ゆとり教育は終わったけどまだ後遺症があるし、グローバル化に向けて英語教育を改革しないといけないし、とにかく急いで改革を進めないと日本の教育はやばいことになる。

 

角度や言葉面が違っても、大体どんな媒体もそういう話をして「教育再生」を語っている。「再生」という限りは、彼らは日本の教育は「死んでいる」と思っているそうです。僕は、そうゆう角度から教育を語るのを「いいかげんやめませんか?」と提案させていただきたい。

 

なぜなら、日本の教育は死んでいないし、ゆとり教育で日本の学力が低下したという事実はないし、今の子供たちは世界に誇れるぐらい十分に優秀だからです。

 

僕は「日本の教育はまずいと思っている人が日本の教育を担っている」ことがまずいと思う。そういう人たちの多くを、僕は信じません。その一番の理由は、彼らはほぼ一様に、「ゆとり教育が日本の教育の破綻の原因だ」と主張しているからです。

 

そもそも「ゆとり教育」はどういう時代の流れの中で採用された教育改革なのかを順を追って見ていく必要があります。

 

日本の近代教育を語り始めるに最もふさわしいのは、やはり第二次世界大戦終了後からでしょう。大日本帝国憲法に代わって公布された日本国憲法には「教育を受ける権利」と「教育を受けさせる義務」が明記されました。終戦後に日本を占領したGHQは、日本の教育の民主化を目指します。戦前は国定教科書を使用し、国家が学校で教える内容を全て決めていましたが、戦後は検定教科書へと変更し、民間が教科書を作る自由を認めました。また、教員の養成機関は大学に一本化されます。教育委員会が設置されたのも、日教組が結成されたのも、GHQがそれを促したからです。

 

残念ながらGHQが導入した理想高きこれらの制度や組織は、文科省との利権争いで腐敗していきました。独立した機関だった教育委員会は文部省の傘下へと組み込まれ、日教組は政府による「日教組つぶし」によって影響力を失い、ピーク時には80%を超えていた組織率も、今では三割を下回っています。1947年に作られた当時は「ガイドライン」という位置づけだった「学習指導要領」は、今では法的拘束力を持っています。国会で審議された法律でもないこの学習指導要領は、選挙で選ばれた国民の代表が議論する機会も与えられぬまま、文部科学省の内々だけで決められるのです。

 

日教組や教育委員会について話し出すと話がめちゃくちゃ長くなるのでここではおいておきましょう。しかし、上記で見てきたとおり、戦後の日本の教育はまず、アメリカ式の教育理念に基づいてスタートたのです。それは端的に言うと、教育の担い手を民間にゆだね、「地域や学校の実情に応じて、現場の創意工夫に任せる」というものでした。

 

しかし戦後間もないこともあってか、日本の教育は当時の親たちを納得させられるレベルにはありませんでした。漢字が書けない、計算力が弱い、地理の知識に乏しい(今も昔も言われていることが変わらないですね・・・)などなど。アメリカ式の教育理念は日本には合わない、もっと知識を教えろ!という主張が声高に叫ばれるようになります。

 

そうして1958年に改訂された学習指導要領は法的拘束力を持つようになり、勉強内容も「知識を覚える」という従来の様式へと変わっていきます。68年の改訂時は、米ソ冷戦で国際社会の緊張が高まっていったという歴史的背景から、「日本もソ連に負けてられない」という風潮が生まれ、教える内容が更に増えます。小学校の算数に集合や関数の概念が導入され、ひらがなの読み書きやかけ算の九九は、それまで半年かけて学習していましたが、新学習指導要領では一ヶ月で終わらせるようになりました。これがいわゆる「詰め込み教育」です。

 

その結果として、学校の勉強についていけない、いわゆる「落ちこぼれ」が社会問題となったのです。さて、このままではまずいとまた学習指導要領が改訂されます。「教育にゆとりを!」が合言葉となって授業時間の削減などが実現されたわけですが、これは何年のことかご存知でしょうか。

 

1977年です。

 

そう、じつは今の30代・40代もゆとり世代には変わりないんです。実際には授業時間が減ったのに教える内容はさほど変わらず、あまり「ゆとり」を与えることにはならなかったようですが。しかし「ゆとり」への教育改革の流れはとまらず、89年の改訂、そして学校週五日制へとつながっていきます。1998年に改訂された学習指導要領は、授業時間と学習内容が大幅に削減されたものになりました。一般には、この1998年に改定された指導要領で教育を受けた子供たちを「ゆとり世代」と呼ぶことが多いようです。

 

今はすっかり卑下・嘲笑の対象となってしまった感のあるこの「ゆとり教育」ですが、その教育理念はなかなか立派なものだと思います。

 

 

 

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上記のような背景から、知識を詰め込む従来の教育を反省し、「自ら学び、自ら考える」力を養い、「社会の変化に主体的に対応できる」子供を育てようという新しい教育方針を実現させること。それがゆとり教育の目的でした。

「教育の実施の経験、子供の現状および将来を見通したときに、これまでのように多くのことを、すべて学ばせるというやり方でいいのだろうか、という反省の上に立っていることは事実です。(中略)文部省は、決して知識を軽視しているわけではありません。ただ、わからないものをたくさん学び、わからないままに終わる、そういう見せ掛けの知識であってはならない。本当に必要なものを、最小限きちんと身につけ、そのうえでそれを発展させるていける、更に進んで学習できるような力を、小・中学校の段階で身につけられるようにする、そのことが子供たちの現在と将来にとって、本当に必要なことなのではないかと考えたわけです。」

当時の文部省の銭谷審議官(時事通信出版局 『教育養成セミナー』 一九九九年三月号別冊より)

 

 

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ゆとり世代の学力低下の証拠としてよく挙げられるのが、経済協力開発機構(OECD)によって実施されている、「生徒の学習到達度調査」(PISA)の結果です。PISAがはじめて実施された2000年、日本は「科学的リテラシー」で2位、「数学的リテラシー」で1位、「読解力リテラシー」が8位となっています。しかし2003年の結果では上記の成績が順に2位、6位、14位となり、この結果を受け多くの人が「ゆとり教育がPISAで順位が下がった原因だ」と主張したわけです(今でもこのPISAの結果を元に、ゆとり教育以後の日本の学力低下を主張する人はよく見られますね)。

 

ただこの主張に無理があるのは、2003年にテストを受けた生徒たちは、たった一年しかゆとり教育を受けていないという点です(学習指導要領が「ゆとり教育」の内容に改訂されたのは1998年、実際に新指導要領が学校教育に適応されたのは2002年から)。

 

2006年のテストではこの順位が6位、10位、15位へと更に下がります。この世代の生徒たちはゆとり教育を4年間受けていたことになります。うん、ゆとり教育が順位低下の理由だと言えなくはない感じになってきましたね。さて、2009年のテストではこれが5位、9位、8位へと上昇します。この生徒たちは小学校3年生から七年間「ゆとり教育」を受けてきました。あれ、ゆとり教育を受けてるのに順位が上がっていますね。

 

2012年にはこれが更に4位、7位、4位へと上昇します。この生徒たちは少し複雑で、一番新しい学習指導要領、つまり「脱ゆとり教育」の先行実施を彼らは数学と理科に関しては受けています。まとめると、小学校の間は「ゆとり教育」を、中学校では国語は「ゆとり教育」を、理科と数学では「脱ゆとり教育」を受けたことになります。読解力で過去最高の順位を記録した彼らは、国語においては「ゆとり教育しか受けていない」世代です。さぁ、これを見て「ゆとり教育が諸悪の根源」説を主張する人たちは、どのように反論するのでしょうか。

 

授業時間や教える内容の削減に目が行きがちなゆとり教育ですが、この教育政策のもうひとつの目玉は、「総合的な学習の時間」です。これはゆとり教育の理念であった、「自ら学び、自ら考える能力」を養うために導入されたもので、その授業内容は「学校の実態に応じた学習活動を行うものとする」と明記されました。つまり、現場の創意工夫に任せたということです。戦後にGHQが目指した教育理念がこれでしたね。

 

この「総合的な学習の時間」は、良く言えば各学校・教員の自由な発想と工夫に任せられた画期的な学習時間ですが、悪く言えば「現場に丸投げ」だったわけです。実際、この総合の時間を目玉としたゆとり教育の理念は、それまでの知識詰込型の教育に慣れていた教員・教育現場に一時的な混乱を引き起こします。そりゃそうですよね、急に「自由な時間あげるから好きに使って」って言われても、「ふーむどうしようか」ってなりますよ。それにこうして順を追って見てみると、つめこみからゆとりへと転換、その中でも特に1998年の学習指導要領の改訂は本当に大きな変化だったことがお分かりいただけるかと思います。実際に現場に立っていた教員の方々は本当に大変だったと思う。本当に。

 

そう考えると、2003年あるいは2006年、実際にゆとり教育が施行されてから1年あるいは4年という時期に行われたPISAで日本の順位が落ちたのも頷けますし、「ゆとり教育」への転換から7年・10年後に行われたPISAで成績が上がったのも、「総合的な学習の時間」を各教育現場が使いこなせるようになり、有意義な授業を行った成果がテスト結果に反映されたから、だと解説することができます。

 

それだけではありません、PISAの結果を良く見てみると、日本の学力は「ゆとり教育によって向上した」と考えることもできます。ゆとり教育前の世代が受けた2000年、つまり初めて実施されたPISAでは、世界32カ国の生徒たちが参加しました。しかし2003年度(言い忘れていましたが、PISAは3年ごとに実施されます)には41の国と地域が、2006年度には56の国と地域が参加しています。

 

当たり前ですが、参加国・地域が増えれば、それだけPISAのコンペティションはレベルが高くなるわけです。つまり、2000年に1位をとるのと2003年に1位をとるのとでは、間違いなく後者のほうが難しくなるわけです。参加母数が増えてるんですから、そりゃそうですよね。なので順位が下がるのもある意味「自然の摂理」と言えなくはないわけです。ちなみに2009年と2012年のPISAでは65の国と地域が参加しています。2012年でいうと、実施された数種類のテストのいずれかで日本より上位にいるのは、上海、香港、シンガポール、台湾、韓国、マカオです。お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、この中で正式な国家は韓国とシンガポールだけですし、人口が1億人を超えている国はもちろん日本だけです。

 

2000年に行われたPISAは32の国の生徒によるものでしたから、当然、上海や香港、台湾、マカオは不参加です。そう考えれば、これらの上位国・地域に比べ、地理的な範囲や人口が圧倒的に多い日本が常にPISAの上位に食い込んできた事実は、声高に歌われている「ゆとり教育による学力低下」とは全く逆のストーリーを物語っています。

 

さらに日本の教育の素晴らしいところは、地域による学力格差がこの半世紀で劇的に改善された点です。昭和36年(1961年)に実施された『全国小学校学力調査』では、「住宅市街地域」の点数が算数で41.7点、国語では57.6点であったのに対し、「へき地」の平均点数はそれぞれ25.3点と41.7点でした。それが2007年、実に43年ぶりに実施された全国学力テストの結果をみると、算数A(基礎問題)における「大都市」の平均正答率が82.6%、「へき地」では80.0%と、なっています。

 

もちろん、日本において地域における学力格差が根絶したわけではありません。実際の研究でも、大都市圏と町村部ではテスト結果だけでなく、家庭における勉強・教育への意識やそれらの環境に違いがあることがわかっています(ブログの最後に参考とさせていただいた研究のURLを記載しますので、ぜひご覧ください)。

 

それでも世界基準で見てみれば、日本の全地域的な教育レベルは、世界に誇れるものだと思いますし、実際にPISAでもその結果が表れています。

 

こうして見てみると、日本の教育をいかに「印象で」語っている人が多いかに気づかされます。彼らが好んで使う「全く近頃の若いものは・・・」という枕詞で教育を語るのは、だいぶ無理があることはお分かりいただけたのではないでしょうか(先ほど話題に出した全国学力テストですが、こっそり昔出した問題を出題したら、今のほうが正答率が高かったそうです。あらま。)。

 

僕は生徒には自信を持ってもらいたい。だってこれから日本を背負って立つ子たちなんですから。なかなか難しいです。でも、自信をすっかり失ってしまっている生徒が多い気がする。それじゃいけないと思う。だから、例えテストの点数が悪くても、あんまり頭ごなしに非難したくないですし、してほしくない。彼らは世界に誇れるスーパーチルドレンなんですから。そのことをもっと声高にアナウンスして、子供たちに誇りと自信を持ってもらいたい。そのほうが絶対頑張れると僕は思います。

 

そのうえで、クールな大人の目線で教育の批評を行っていくべきだと思う。

 

まず一つは、現代日本社会は学力の「序列化」によって教育を語ろうとする点です。上記で見てきたように、地域における学力格差が減少し、高校進学率は9割を超え、選り好みさえしなければ誰もが大学に進学できる「大学全入時代」になったことで、「誰もが同じ物差しで測られるようになった」のです。

 

「大学はどちらに?」と聞けば、その答えで何となくその人をわかった気分になれる。単純に言うとそんな時代なわけです。世にいう学力社会というのは、要はそういうことです。同じ物差しで測ることができると、社会はそれを序列化し、格付けする傾向にある。そして上位者には報酬を、下位者には罰を与えるという構造がいたって容易に構築される。ようは、「がんばって勉強したやつはそれなりの社会的地位を獲得できるけど、そうじゃないやつは頑張らなかったから悪いわけで、社会的地位の低い仕事にしか就けないのもしかたないよ。」という極めて幼稚な理屈がまかり通る社会になる。

 

ただ残念ながら、これからますますそういう世の中になってきそうです。この仕事についている限り、僕はなんとかこの「統一された物差しの上で行われるゲーム」の攻略法を伝授したい。

 

もう一つは、ご家庭にとっては大変遺憾なことではあると思いますが、日本教育は大きな私支出によって補われているという点です。OECD諸国と比較し、日本の対GDP比の公教育支出(ようは国が教育に使っているお金)は非常に少なく、代わりに私教育支出(家庭が教育に使うお金)はOECDトップレベルに多い。少子高齢化による就学人数の総人口における割合がそもそも小さいことも理由の一つではありますが、調査では、特に就学前教育(幼稚園・保育園)における日本教育の課題の多さが指摘されています。また高等教育(大学)においても公教育支出が少なく、私大生が占める割合はOECD内でも群を抜いて高いため、家庭への負担は大きくなっているようです。

 

就学前教育における公教育支出が少ないということは、就学前教育は各家庭の経済状況によって大きく格差が生じるということになります。平たく言えば、小学校一年生のころから学力格差が存在するということになる。詰め込み教育の最盛期には、学校の授業に完全において行かれてしまった「落ちこぼれ」が社会問題になったことは既に紹介しました。小学生の塾通いが定着しだしたのも実はこの時期だと言われています。

 

そして今、何の確証的理由もないまま、日本の教育は再び「詰め込み教育」へと舵をきりなおそうとしています。そのことに対するアナウンスをもっと声高にしていかなければいけない。逆に、国家がこれだけ芯のない教育政策を戦後から現代にかけて施行してきたにもかかわらず、日本の教育が世界トップレベルに到達し、なお君臨し続けているのは、各世代の子供たちの頑張りのおかげであるし、各世代の家庭が経済的にも精神的にも子供たちを支援してきたからであると僕は思う。

 

その一端を、僭越ながら、我々のような学習塾は担ってきたのかなと思います。

ですからこれからも、我ら日本が誇る優秀な子供たちを、私たちは全力で応援していきます。

 

最近の若い人はどうですか?

 

と聞かれれば、あの枕詞で話を始めたくなる気持ちはわかります。

 

それをぐっとこらえて、「いや、素晴らしいですよ」といえる「大人」が、どうやら少なくなってきたようなので。

 

はて、彼らには「ゆとり」が足りなかったのでしょうか。

 

 

 

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参照

『池上彰の「日本の教育」がよくわかる本』http://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-76174-9
戦後から現代の日本の教育、PISAやゆとり教育に関する点は、ほぼこの本の内容を紹介させていただいています。ぜひご一読を。

 

『OECD諸国との教育支出の比較から見る日本の教育課題』
畠山勝太 / 国際教育開発 http://synodos.jp/education/1356
OECD諸国比での日本の教育支出に関してはこちらを参考にさせていただきました。

 

『教育格差の発生・解消に関する調査研究報告書 [2007年~2008年] 分析編 第1章 学力の地域格差』   大阪大学大学院教授 志水宏吉
http://berd.benesse.jp/berd/center/open/report/kyoiku_kakusa/2008/kyoiku_kakusa_Chapter1_01.html

日本の学力における地域格差については、こちらを参考にさせていただきました。他にも大都市圏と他の地域との違いなど、興味深いデータが紹介されていますので、ぜひ。

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