教室ブログ

2016.05.18

仙人じいさん

皆さんは余生をどうやって過ごしたいとか、考えたことあります?どんなおじいちゃんおばあちゃんになっていたいなぁとか、どんな生活を過ごしていたいなぁとか。「いやぁ、もうそんな長生きしなくていいもん、50歳ぐらいで死にたいよ。爺婆になんてなりたくないし」なんて言わずに。まぁ気持ちは分からなくは無いんですけど。

 

僕はね、歌人として余生を過ごしたい。近所の和歌クラブに入って(おあつらえむきにそんな集まりがあるのか知らないですけど)、お互い持ち寄った和歌を詠いあい、それを批評しあったり。そのために沢山の歌を詠んで、勉強して。そういう余生を送りたい。爺臭すぎるって?いやいや、まぁ聞いてください。歌人ってめちゃめちゃ凄いんですよ。僕はヒップホップが好きなんですけど、歌人ってもうラッパーなんです。いやほんとに。即興で歌ったり、二重の意味がある言葉をかけたり。ん?ピンときませんか?じゃあ一つ例を見せましょう。

 

その昔、豊臣秀吉が諸国の大名を集めて宴会を開いた際のことです。手違いで台所さん用であったおにぎりが食事に出されてしまい場がざわつきますが、秀吉に仕えていた「曽呂利新左衛門」という人が、すかさずこんな一首を詠うのです。

 

「にぎり飯 黒ごまかけて 出しつれば みな人ごとに あらうまと云う」

 

わかります?じゃあこれでどうでしょう。

 

「握り飯 黒ごま(黒胡麻・黒駒)かけて(翔けて) 出しつれば みな人ごとに あらうま(あら美味・荒馬)と云う」

 

めちゃめちゃ上手じゃないですか?これを即興で作るんですよ??ラッパーのフリースタイルそのものじゃないですか!?笑 僕は高校の頃に和歌に凄くはまった時期があって、古今和歌集とかもよく読んでたんですけど(あ、ちなみに塾においてます)、今の黒ごまの歌なんかはいわゆる「狂歌」って呼ばれるような、ようは読んでいて思わず笑っちゃうような歌なんですね。正統派でいったら、おそらく日本史上最高の歌人であろう紀貫之なんかは、もう上手すぎて素人の僕が読んだだけでも「あ、たぶんこれ貫之だな」って分かっちゃうレベルで凄いんです。電車の中でおもわず「貫之やべぇな」って声を出してしまって、周りから怪訝な顔でみられた記憶がありますもん。笑

 

紀貫之といえば和歌のほかに、『土佐日記』で有名ですよね。同書は「男もすなる日記といふものを女もしてみむとてするなり」ではじまりますが、作者の貫之はもちろん男です。ようは男が女のふりをしてさらに男がやることをするという、非常に斬新な試みを行なった文学作品なわけですね。日記といえば当時は男が漢文で記すものだったのですが、歌人ということで、常からひらがなを多用していた彼ならではの発想だったのかもしれません。貫之が想像上でとった「女性」という存在からの観点は、特に当時の感覚では非常に稀だったかもしれませんが、作家が「違う人間の視点」から作品を描くというのは、何も珍しいことではありません。たとえば、まだ若い人間が「爺さん」という世の中を達観した立場に想像的に立って著すという習慣は、昔は非常に一般的でした。そもそも、昔の人は「はやく爺さんになりたい(隠居生活をおくりたい)」と願う習慣があったからです。

 

 明治にあって、二一世紀になくなったもの、それは「早く爺になりたい」という願いである。若者が「早く爺になりたい」と願うのは、日本古来の知的伝統の一つだったのである。『徒然草』は吉田兼好が二十代から六十代にかけて書きためた断章であるが、今私たちがこれを読んでも、「これは若書き、これは晩年の作」と識別することはできない。それほどに文体にも価値観にも揺らぎがないのである。これはどういうことかというと、兼好法師は二十代にしてすでに、「ヴァーチャル爺」という想像的に確保された視点から世の中を眺めていたということである。昔の人は「そういうこと」がたいへんに好きだった。まだご当人はうら若き青年で、地位にも名声にも色欲に恋々たる「煩悩の犬」なのだが、いったん筆を執るときは、そういう俗事を涼しく超越した「爺」になったふりをして、高みの見物を決めたのである。

(中略)古人は、「私はいったい、こんなにむきになって、何バカなことをやっているんだろう?」という醒めた省察を、ひとり内省することでも、神に問いかけることでも、「他者」からの糾弾にうなだれることでもなく、自らが想像的に創り出した、脱俗・老成した「システム外智者」の視座から行なったのである。これはきわめてコストパフォーマンスに優れた知的習慣であると私は思う。

内田樹『子供は判ってくれない』P50~52

 

若い現在の自分は、煩悩に打ち勝つことが出来ず、様々の欲に振り回され、見栄を張ったりプライドを誇示したりしてしまう。でもきっと爺になった自分はそんなものを超越し、いわば「悟りの境地」に達しているはずで、私利私欲に振り回されている人々や世の中(や自分)をサーカスティックに見物しながら、まさに『徒然なるままに』筆をとる生活を送っているだろう。「爺になった未来の自分」は「きっとこういう風に世の中を見ているだろう、暮らしているだろう」という期待をこめて、「爺になった自分」に扮してみせる。そういう文化が「昔の日本にはたしかにあった」と内田先生は言うわけです。でも今は、それがなくなってしまった。今では一定の年齢に達してからは、歳をとることを悲観的に捉える人が多いですよね。「歳なんかとりたくない~」とか。「お、また一つ爺(婆)に近づいたぞ」と嬉々として話す人はあんまりいない。

 

僕がバンクーバーに留学に行ったときのことです。女性の先生になんとなしに年を聞いたら、笑いながらではありますが「失礼なこと聞かないで」と言われ、教えてくれなかったことがあります。欧米ではこういう「女性に年齢を聞くのは失礼」というのが通例であることは知っていましたが、それを改めて実感した出来事でした。日本でも同じようなことを言う女性はいますけど、ゆうて最終的に教えてくれるじゃないですか。でもその先生は一ヶ月間、ついぞ教えてくれなかった(いくらなんでもしつこすぎるだろうというツッコミは、19歳の若気の至りということでご看過いただければ幸いです)。

 

僕にはこれがさっぱり理解できない。全くもって理解できない。当時に比べたら「理解は出来ないけどまぁそういう考え方が浸透してるから不用意に年は聞かないようにしよう」という程度のわきまえは身につけたけども、それでも理解はできません。だってまず、年を聞くというのは、日本人にとってコミュニケーションをとるために非常に大切なステップです。それによって話し方を変える必要がある(欧米人には逆にそれが理解できないのでしょうけども)。それにその人の生まれた年で、この人がどんな時代を生きてきたかが分かる。「そういうのを予想されて偏見を持って話されるのが嫌だから年齢を言いたくない」というなら理解できなくはない。でも、コミュニケーションを取ることに前向きであるなら、年齢をいう事ははっきりいって物凄く「手っ取り早い」わけだから(だって年齢を知り合うだけで話のネタが増えるでしょう?)、惜しむ必要性があんまりない。そこを惜しむのであれば、この人は自分の出身地も宗教も出身校も仕事も何もかもを言いたがらないはずだけれども、欧米人はそこをそんなに嫌がっている印象は無いし、むしろそんな人は(いたとしたら)はじめからこっちとコミュニケーションを取る気なんてさらさらない。そう考えると、結局のところこの「年齢を言いたくない」というのは、「若い方がよい」という薄っぺらな若さ至上主義が彼らの思想に深く根付いているからであるという結論に僕は行き着きます。だから理解できない。「歳をとることの何が恥ずべきことなのか」、僕にはさっぱり理解できないから。

 

そんな現代では、どれだけ「若々しい年寄りになるか」とか「いつまで現役でいられるか」という、いわば爺になってから「ヴァーチャル青年」に扮するという逆行型がしばしば理想形として語られます。僕はそれが悪いとかは全然おもわないんですけど、でも、「爺になったら色欲を超越した仙人のような人間になっていたい」という理想を若者が語ることが非常に少なくなったことに関しては、なんなら「できれば元気なうちにさっさと逝ってしまいたい」という若者がかなりの数いる(ように思う)ことに関しては、非常に残念だといわざるを得ない。さっさと逝ってしまいたいってことは、老後の生活に興味がないということでしょう?半世紀以上も生きてきて、様々な経験を経て、数多くの知識を得て、子供を育て、次世代の成長を見て、世の中の変遷を目撃して、友人たちの死を見届けてきた自分が、労働者としての現役から引退し、ようやく今まで挙げてきたような全てのことをゆっくり吟味できるこれからの時間を、「別にいらない」って思ってる。それは僕は、すごく寂しいことだと思う。

 

考えてもみると、若いことにだって恥ずべき事はいっくらでもある。無謀だし、世間知らずだし、無知だし。消し去りたいような若気の至りは山のようにあるはずなんです。タイムスリップして過去の自分を殴りに行きたいような経験は腐るほどあるはずなんです。なのに若さが過剰にもてはやされるようになったのは、僕は「精神的な成熟や積み重ねた知識と経験によって磨かれた知恵や熟練の思考」にたいして、人々が「尊敬のまなざしを送りながらいつかこうなりたいと羨望する」という感覚をもつことが、とてつもなく減ってしまったからじゃないかと思う。

 

かつて中国の孫楚という人は、石を枕にして川の流れで口を漱ぐような隠居生活を送りたいと(間違えてしまったために漱石枕流という言葉が生まれたわけですが)言ったわけですが、そういう「世の雑踏から距離を置いてひっそりと過ごしたい」という感覚が、現代はだいぶ失われてしまった。声の大きいご老体というのは、「おいおい俺はまだまだバリバリなんだぜ、なんてったって若いんだからな」という心情を主張したいのかなと思うんです。それはそれでご健闘をお祈りする次第なのですが。僕が言いたいのは、それが悪いというのでは全くもってなくて、それとは別の、日本古来からの習慣であった「仙人のような爺」になることは、全くもって恥ずべきことでは無いし、むしろ自然であり非常に面白そうなことなんだよということです。

 

若さという一つのものさしで人生を測るには無理がある。学生の時は学生用の、社会人になったら社会人用の、そして老後は老後用のものさしを使い分ける事は、身の程をわきまえた大人の振る舞いとして、非常に評価されるべきものだと思います。若い事は一つの強みですから、若者は若く生きればいい。老いたとしても、若々しく生きていたいのもわかる。でも、いつまでも「自分は若い」という想定にしがみついていてはいけない。

 

 「自分は若い」という想定は、すなわち「自分は現在の社会制度の諸矛盾については責任がなく、むしろ被害者である」という自己免責にそのままつながる。このような考え方が人を少しも倫理的にしないことについて、みなさますでにご案内の通りである。だが、それは当今のご老体が「エヴァー・グリーン」とか「死ぬまで現役」とか「老いてこそ」とか「ヴァーチャル青年」への退行に必死になることと発想としては同型的なのである。いずれにしても「はしたない」ことに変わりはない。

内田樹『子供は判ってくれない』P52

 

若いころは「自分は若いんだから多少の無茶をしたり無責任な行動をしたりしてもいいんだ」と考えがちで、それはもう仕方ないことだと思います(なんでもSNSに晒される世の中なので、やりすぎには気をつけましょうね)。でも歳を重ねてもそのままではよろしくない。私利私欲に踊らされて周りの迷惑を考えずに振舞うことも、若さならではかもしれないけれど、爺になってもそれではいただけない。子供というのは、そうやって振舞うことが許された社会的地位なのであって、だから彼らに選挙権は無いのです。でも僕たち大人はそうじゃない。歳を重ねるというのは、単に皺を刻み、衰え、老いていくということではありません。子供から大人へ、大人から仙人へ、我侭で周りのことなんてお構いないなし(だけれども怖いもの知らずで毎日が楽しかった)に振舞っていた時代から、様々な経験と知識を重ね、少しずつ周りに感謝できるようになっていき、少しずつ増えていく責任に、少しずつ対応できるようになっていく。そして少しずつ世のため人のために尽くしていけるようになっていくことが、僕は歳を重ねるということであり、大人になるということだと思う。

 

端的にいうと、年配者って凄いんだってことです。歳をとるってのは、また一歩凄いやつになることなんです。

 

でもそういえるためには、やっぱり中身がついてこないといけないですから、歳を重ねるごとにより賢く、より「大人に」なれるよう、日々精進あるのみなんですね。若い皆さんには(いやまぁ僕も若いんですけど)若さという特権にあぐらをかかずに、むしろ「俺は早く爺になって世の中を達観して見たいんだ!」というぐらいの気概があってもいいかもしれませんよ。ほら、なんだか歳をとるのが嫌じゃなくなってきたでしょう?そうでもない?まだまだ若さに浸っていたいお年頃ですもんね。分かりました。じゃあここで一句。

 

「明日ありと 想うこころの あだ桜 夜半(よわ)に嵐の 吹かぬものかは」

 

浄土真宗の宗祖とされる親鸞が詠った有名な歌です。

彼が9歳のときに。

 

ほら、もう君たちそんなに若くないでしょう?

 

 

 

 

 

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