教室ブログ

2022.09.05

プリクラの変化に見る非現実との付き合い方

こんにちは。WAM婦中校の車です。

 

数年前に両親とeスポーツについて話したのを覚えています。
ゲームの上級プレイヤー同士の対戦が興行として成立する時代となっていて、現実の野球の試合を観戦するより野球ゲームの対戦を観る方が楽しいという人も少なくないということが、僕の両親にはなかなか理解できなかったようです。
私自身はゲームが好きですし、野球ゲームの試合が現実の野球の試合を超える魅力を持つこともあるというのは理解できます。

 

このように、バーチャルなものをあくまで現実の代用品として見るか、現実とは別の価値を持ちうるものとして見るか、の違いはとても大きく、根が深いものだと思います。
新しい技術を受け入れる際のスタンスが人によって異なりなかなか分かり合えないのは、このギャップから来ているような気がするのです。
年齢が全てではないですが、やはり若い人ほどバーチャルにはバーチャル特有の価値を見出すことができると思います。

 

話は変わりますが、いわゆる「プリクラ」は私が小学生の頃からありました。
撮った写真に落書きをしたりメッセージを書き込んだりといった機能は初期からありましたが、目を大きくしたり肌を綺麗にしたりといった「盛る」機能が充実してきたのはここ十数年のことだと思います。
私はもう何年もプリクラを全く利用していないのですが、最近女の子が撮るプリクラを見ると、もはや「現実の顔を綺麗に見せる」という領域を超えているように思います。(こう感じること自体私がオジサンだという証拠なのかもしれませんが)
こんな非現実的な顔にしてどうしたいんだろう?という疑問を抱いていたのですが、実はそういうことではなく、たとえば「すっぴん」と「メイクした顔」があるように、もう一つの顔として「プリクラの顔」が確立された時代になったのだろうなと今は思っています。
彼女たちにとって、プリクラに映る自分の顔はゲームやSNSのアバターのようなものなのかもしれません。

 

ITが進歩して、様々なものがコンピューター上でシミュレートできる時代だからこそ、単なる現実の劣化版ではなく、そこにしか無い価値を見出せるようになることがこれからの時代を楽しむポイントなのかもしれないと考える今日この頃です。

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