教室ブログ

2021.02.12

【梅】

こんにちは。Wam四箇郷校です。2月も半ばに差し掛かっております。先週あたりからですが、教室へ向かう道中にある数

 

本の梅の樹にカメラやスマホを持ったギャラリーの方々が群がって、撮影をしたり、景観を愉しまれたりしている光景が見ら

 

れます。皆さん、思い思いの「をかし」や「いとつきづきし」を感じる所が有るかと思われます。「梅」に関しまして、「雪

 

梅」と言う漢詩を拝見しました。「梅有り雪なければ精神ならず、雪有り詩無ければ人を俗了す、薄暮詩成って天又(また)

 

雪降る、梅と併せなす十分の春」と言う七言絶句です。「精神」は、生き生きとした情緒を感じさせ、引き起こさせる物、

 

「俗了」は平凡で、これと言った魅力を感じなくなってしまう物、「薄暮」は文字の如く「薄暮れ」で、およそ夕方といった

 

意味が有ります。いわゆる、「梅」が有り、更に咲いている「梅」のそこに「雪」が降り、また更にその景色を見て感じた言

 

葉を綴った「詩」とが三位一体となって、春の情緒となると言った意味合いです。「一期一会」の精神に似ている様な気もし

 

ますね。「今この瞬間は、今この時にしか恐らくもう巡って来ないであろうから、何かの形で残しておこう」と言う事は、上

 

記の漢詩の場面に限らずあろうかと思います。私の周りでも、ここ数年「残したい」(遺したいと表現も当てはまるかも知れ

 

ませんが)場面、例えば何らかの「記念日」や「催し」、もしくはちょっとした自分や身近な人達に対する逆タイムカプセル

 

的な物をスマホやカメラ等で「映像」や「写真」で「記録」すると言う「営み」は本当に「普通」の事になったなぁ~と、思

 

います。「詩」もそうなのですよね。個人的な「酔い」が入ってしまいますが、「今、目の前に映っている風景を「綺麗」や

 

「美しい」と言った言葉だけではなく、出来るだけ知り得る限りの表現(方法)で残したい(遺したい)」と言った事は、そ

 

のシンプルに「綺麗」とか「美しい」と感じる事の出来た「自然」に対する「礼儀」や「敬意」を表す一つの「姿勢」だろう

 

かとも思ったりします。メロディーもそうですが、残したり、反復したりしないと忘れてしまうでしょうから、その時に自分

 

がどの様な「気持ち」を「具体的」に抱いたのかと言う「その時の自分」を残す「行為」として、「撮影」や「詩作表現」等

 

が有るのでしょうね。「礼儀」や「敬意」と申したのですが、それは「詩作」の著わし方だけに限らず、他の形でのそれぞれ

 

の表し方として、ある程度の「客観性」は取り入れたとしての「自分なり」の写し方(ピント、距離感や明暗)、撮影時のマ

 

ナー等の、「自然」に対する払い方は、「自然」という「概念」に対する「自分」と言う人間の小ささを改めて知らせてくれ

 

る、重要な「機会」だと思います。それらに限らず、「自然」を目の当たりにして、何らかの「趣」や「情緒」を感じられた

 

時に対するほぼ全ての行為次第に当てはまる事であれば、それらはもう「十分」な「自然」に対する「礼儀」や「敬意」なの

 

でしょうね。そういう意味では、「自然」に対する「自然」な振る舞い一つでその人の「人間性」が出たりするかも知れませ

 

んから、「自戒」するべき所かも知れませんし、「俗了」な「言葉」ではなく、それを飛び越えて「精神」の宿った「情緒」

 

「理性」の有る「言葉」をもっともっと覚える必要が有るのかな、と感じた次第です。やっぱり「自然」には勝てませんから

 

(笑)。また、気になった事は「メモ」等で残さないといけないなと、つくづく思います。受験シーズン真っ只中の方、まだ

 

まだ多いでしょうから、手洗いうがいの基本動作を徹底し、体調にはくれぐれも気を付けて下さい。

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