教室ブログ

2019.01.08

なぜ歴史を学ぶのか

こんにちは!個別指導Wam野口校です。

 

連日冬期講習で賑わっていた冬休みが終わり、3学期が始まりました。中学生は課題テストに臨んでいることでしょう。

テスト勉強している生徒からよく聞かれることが、「〇〇を勉強して何の役に立つのか」です。もちろん、科目によって様々な答えがあります。今回は「歴史を学ぶこと」について、少しお話してみようかと思います。

 

歴史を学ぶことの意義は、大まかに二つあると考えています。

一つ目は歴史そのものを知っておくこと。あらゆる知識の背景には歴史があります。身近なケースでも、「何でこの都市が栄えているのか」のように、歴史とリンクさせて考えるべきことが多くあります。

多くのことを学ぶ上で、リンクさせる力は非常に大切です。

二つ目は判断力を学ぶこと。歴史上の人物たちは多くの「判断」をしてきました。「大化の改新」「関ヶ原」「大政奉還」、いずれも判断が違えば歴史が大きく変わったような出来事です。「当時の人物はなぜそう判断したのか」「自分ならどうするか」、そう考えるために非常に有意義な資料です。

自ら考えて動く力、これも社会に出るまでに身に付けておきたい大切なスキルです。

 

さて、Wikipediaによると本日1月8日は上杉景勝の誕生日です。

上杉謙信の養子であり、「関ヶ原の戦い」が起きるまでの流れを理解する上でのキーマンです。

国許に帰って軍備を整える上杉景勝を逆賊とみなして徳川家康らが討伐軍を結成します。豊臣家の意向を受けた「豊臣軍」です。しかし、家康の独断専行を咎める石田三成らが、家康を討伐するための「豊臣軍」を結成します。景勝と三成らはグルだったというのが定説ですね。

この時、大名たちはどちらが正しくて味方すべき方なのか、判断をしないといけませんでした。そしてバランスよく(?)分かれてしまったために、史上最大級の戦いを引き起こすことになりました。

戦いの結果は皆さんご存知の通りですが、位置付けとしては「豊臣家の家臣の争い」です。主家である豊臣家は存続し、家康が家臣内での立場を強め、強行的に幕府を開くに至りました。豊臣家が滅ぼされるのは15年以上先の話になります。

皆さんが景勝・家康・三成・豊臣家の立場ならどうしましたか?

 

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教室長 佐野

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