教室ブログ

2017.09.24

青色

こんにちは、Wam六十谷校の川口です。

 

いつの間にか涼しくなり、冷房をつけることも少なくなりました。静かな夜を過ごすには読書と思い、読みかけだった本を消化していくことにしました。哲学書は回りくどいものが多いので、まとまった時間がないと読みづらいですが、哲学者の中では明瞭な論理を展開するウィトゲンシュタイン中期の講義録である『青色本』を読みました。彼の前期著作の論考(論理哲学論考)から一転して言語観を問い直す思考の格闘を書き留めた1冊です。

 

「『時間とは何か』という問いは一見、定義を尋ねているが、定義をえても何になるのか。定義はただ他の未定義の言葉に導くだけではないか」と著者は考えます。我々は文法に絡む困惑を抱き、それは文法の外見上の矛盾と呼べるものから生じます。子供がよく聞く「なぜ」の問いは、その困惑であり、必ずしも原因なり、理由なりを尋ねているわけではありません。

 

著者は論考では意味論的発想のもとにいたため、言葉は世界との関係で意味を与えられるとしていました。

 

中期にあたる本書では言語規則や文法として捉えられていたものは、言語体系内部の構造に関わるものと考えられています。単語の意味は、その言語体系においてその後が他のどのような語と組み合わされうるか、あるいはその語を用いた文から他のどのような文が導かれるかといった言語規則によって捉えられるとしています。

 

さらに、言語は活動によって意味を与えられる、として活動や実践(これを言語ゲームとしています)においてその言葉がどう使われるかが、「言葉の意味」と呼ばれる実質であると考えています。著者の哲学探究は私的言語の治療であり、人が陥りがちな独我論から快癒するには私的言語の治療が必要であると語っています。

 

現在の言語学にも繋がる内容で、意味論から語用論へと議題が移り、実際の会話で考えると、グライスの協調の原理や会話の格率など、自然に行われていることについての談話分析も含めた結果としての『言葉の意味』について考えることができました。

 

国語の教科書では文脈内での言葉の意味を考える場合が多く、テストで問題として与えられるのは記号的に捉えて答えることが多いように思いますが、限定的な語用にならず、メタ的な考えを持つ視点は養っていきたいと思います。

この記事をシェア

すべて無料!
丁寧にサポートさせていただきます!

お急ぎの方はこちら! 電話でもお伺いいたします!

フリーダイヤル(受付時間10:00~22:00) フリーダイヤル® 0120-20-7733