教室ブログ

2017.01.14

学校の起源

皆さんは学校の起源をご存知でしょうか。どのようにして学校という場が生まれたのか。何のために学校がつくられたのか。

 

聞いておいてなんですが、僕も知りません。知りませんというか、知りようがないのです。何もスクールの語源が「暇」であるとか、紀元前には学校に相当する機関が存在していただとか、日本では寺子屋の誕生から明治維新にかけての教育政策がどうこうだとか、そういう歴史的事実がどうかという話をしているのではありません。

 

かのクロード・レヴィ=ストロースは、その社会の根源的諸制度や営みの起源について(例えばなぜ人間は会話をするのか、なぜ労働するのか、など)、人間は永遠に触れることができないと言いました。全ては今や暗闇に埋もれているし、それを解き明かすこと自体にさしたる有用性もないからでしょう。教育にしてもそうです。なぜ人は勉強するのか。それに関する自説はこれまでも沢山書いてきましたが、その発祥の根源に関しては、結局のところ我々は推測することしかできず、またその理由が分かる分らないということは、実際に我々が教育に従事し、あるいは教育を享受する段階において、大した影響を及ぼさないのです。

 

でも推測することはできる。そうすると、諸説生まれてくるわけです。

 

その中に、僕が興味深いなぁと思うものが一つあります。それは、「学校は親や社会による収奪から子供を守るために生まれた」というものです。その中枢を担ったのがイエズス会などの宗教団体だといわれています。

 

学校は本来は苛烈な実社会から「子供を守る」ことを本務とするものです。それは学校というものの歴史的発生から明らかだと思います。

ヨーロッパで近代の学校教育を担った主体のひとつは、イエズス会ですけれど、それは「親の暴力から子供を守る」ためでした。当時のヨーロッパで子供たちは親の所有物とみなされており、幼年期から過酷な労働を強いられ、恣意的な暴力にさらされておりました。イエズス会は「神の前での人間の平等」という原理に基づいて、「親には子供を殺す権利はない」としたのです。

学校の歴史的使命は、何よりもまず「子供を大人たちの暴力から守る」ことでした。それは今も変わりません。

子供を幼児期から実社会の剥き出しのエゴイズムの中に投じると、どのように悲惨な結果を生じるかは、マルクスの『資本論』の中の19世紀イギリスの児童労働についてのレポートを読むとよくわかります。

子供を心身ともに健全に育て、強者からの暴力や収奪から自分を守ることができるだけの力をつけさせるためには、彼らを一時的に世俗から切り離し、一種の「温室」に隔離することが必要だったのです。

学校に弱肉強食の競争原理を持ち込んで、「子供の頃から実社会の現実を学ばせた方がいい」としたりげに言う人々は、その考えが学校教育の本質の一部を否定しているということを自覚していません。

質問に対するお答えは、ですから「学校に競争原理を導入すべきではない」というものです。最優先するのは、「子供を暴力と収奪から守る」ということです。

 

「いじめ」は学校に滲入してきた「外の原理」です。

学校で子供がまず学ぶべきことは、相互支援と共生の原理です。

でも、今学校では、何よりもまずその原理を教えていると胸を張って言える教師が何人いるでしょう。

「きれいごとを言うな。社会はそんな甘いものじゃない」と言う人がいるかも知れません。その人には、毎年200人の子供が学校でのことを苦にして自殺しているという事実を「甘い」と言えるかどうか、本気で考えて欲しいと思います。

 

(【いじめについての続き】, 内田樹, http://blog.tatsuru.com/2012/07/13_1032.php)

 

 

産業革命後のイギリスの労働環境がいかに劣悪であったかは、皆さんもよくご存知のことと思います。朝三時から夜十時まで働かされ、当時は環境問題への意識なども皆無ですから、特に工場ないは衛生環境も悪かった。1842年の調査では、リヴァプールの労働者の平均寿命は十五歳だったそうです。

 

産業革命直後だけではありません。人類史上のほとんどの時代において、子供は労働力として見られていました。子供の収奪に加担していたのは社会だけではありません。親もその一端を担っていました。時代が時代ですから、今の価値観でどうこういうのはフェアでないのは間違いありませんが、近世のイギリスを例に取ると、当時の英国は五~十人の子供を産む一方で、乳児の大半が五歳までに死んでしまうような、いわゆる多産多死型の社会でした。そういった社会では、子供を愛するのは難しい(心が持ちませんからね、すぐに死んでしまうわけですから)。

 

「将来どうなるかなんてわからない」

それが、多産多死型社会の特徴のひとつでもある。人間の生は、とてもはかなく、そして将来の展望を描けない世界なのである。今のように10年、20年先の将来設計までするような世界とは違う。明日のパンの心配をせねばならない

世界だったのである。そして、それが人類の歴史の大半だったのだ。

そういう世界では、大人は、子どもの死に幾度となく直面する。が、それでも産まないとならない。でないと、人口を一定の数に保てないからだ。

もし、そういう世界で、子どもを愛してしまったらどうなるだろうか?

この時期、一人の家庭では子どもを5~10人作るのが一般的だった。が、その5~6割は5歳までに死ぬのだ。医療技術が未発達で、農業生産性も低い世界では、子どものような弱い固体は、栄養失調と病気の的だった。

この状況では今のように、愛情深く子どもを育てていては、親が正気を保てない。子どもの死に何度も何度も直面せねばならない状況で、深く子どもを愛することは、できないのだ。そんなことをしていれば、心が壊れてしまうだろう。

そういう意味では、親が子どもを現在のように「愛する」事は、時代の状況が許さなかったとも言える。子どもとは、すぐ死んでしまう存在で、その将来を夢見ること、保証することはできなかったのだ。

 

(中略)

 

この時期は、子どもとはこのように「親にとっての経済資本」だった。残酷な時代を生き抜くには、残酷にならねばならない。子どもとは愛すべき対象とはなりえなかった。大人ですら、その生存が危ぶまれる世界においては、子どもすら消耗品として見なされたのである。そして、場合によっては、そうしなければ生き残れなかったという面もあるのだろう。

現実的な話をする。産業革命以前でも、児童労働はあったどころか一般的ですらあった。それどころか、児童の死亡率、そして労働の苛酷さ、児童に対する虐待は、今とはまるで違うレベルで行なわれていたことは想像に難くない。場合によっては、産業革命前のほうが酷かった場所ですらあるのだ。それは家内工業によって隠蔽されていたに過ぎない。

 

(【子供を可愛いと思わなかった時代】http://blogpal.seesaa.net/article/42161114.html

 

現代からの視点では、とても信じられないようなお話ではないでしょうか。親が子に抱くのは「無償の愛」だと言われることがありますが、実際にそのような価値観がマジョリティに共通して抱かれるようになったのは、本当に最近になってからのことなのかもしれません。もちろん、当時の人々が子供を欠片も愛していなかったというわけではないはずです(山上憶良の貧窮問答歌とかもありますしね)。これをそのような短絡的な結論に帰着させてはいけません。

 

そうではなくて、この時代にはそのように振る舞い、子供を労働力として捉えることが「当たり前」であり、「避けられないこと」であり、それゆえに「残酷な時代」であったということなのです。

 

社会(大人たち)が子供や教育に及ぼす影響は計り知れません。社会はそれにとって都合の良いように、教育を通じて子供たちを操作しようとします。明治後期から終戦までを例にとって考えていただければお分かりいただけると思います。数年後に日清戦争が勃発することとなる1890年の「教育ニ関スル勅語」では、「忠君愛国」(簡単にいえば国や権力者に忠義を尽くすこと)が教育の基本であると強調されていました。それがいかなる効果を発揮したかについては、もうここで説明する必要もないでしょう。

 

もっともっとありますよ。皆さん、学校で「集団行動」ってあったでしょう?前にならえとか、回れ右ってやつ。あれってなんでやってるか知ってますか?この前身である「兵式体操」は明治十九年、文部大臣の森有礼によって学校現場に導入されました。国家主導でわざわざこんな体操を普及させたのは、単に健康や体力向上、怪我の防止のためではありません。これは、「操作可能な身体」、「従順な身体」を造型するためのものでした。

 

「軍隊では体操は、素人兵に集団先方を訓練するときに使われました。体操は、一人一人では大した力を期待できない戦いの素人たちを、号令とともに一斉に秩序正しく行動できるように訓練します。(中略)体操が集団秩序を高めることを目的とするのは、この戦術上の必要を満たすためであり、いいかえれば、それは平凡な能力しか持たない個人を有効に活用するための方法であったのです。」

(『「健康」の日本史』、北澤一利、平凡社、二〇〇〇年)

 

歴史的文脈としては、もう少し前の明治六年、山県有朋によって日本に徴兵制が導入されました。徴兵制って、単に戦争などの非常事態の際に国を守るためのものであると純粋に考えていませんか?それはあまりに短絡的ですよ。上の例と同じです。徴兵制というのは、「身体を通じて人間を統制する」ためにあるのです。想像すればわかる話で、徴兵で数年間でも訓練を受けた場合とそうでない場合、その人の「政治的思想」に欠片も変化がない「はずがない」というわけです。

 

「十八世紀後半になると、兵士は造型されるものとなった。まるでパスタを練り上げるように、兵役不適格な身体を材料に、必要な機械が造り出されたのである。姿勢が少しずつ矯正された。計算ずくの束縛がゆっくりと全身にゆきわたり、身体の支配者となり、全身をたわめて、いつでも使用可能なものに変えた。それはさらに日常的な動作の中にそっと入り込み、自然な反応として根づいたのである。こうして、身体から『農民臭さ』が追い払われ、『兵士の風格』が与えられたのである。」

(『監獄の誕生』、ミシェル・フーコー、新潮社、一九七七年)

 

このように、社会(国家権力)が教育を通じてそれに都合のいいような国民を生み出そうとする例はいくらでもあります。はっきり言って現代だって、形は変えれど本質的には変わっていない。経済界が要請する人材を学校は養成すべきだ、という文言がそれです。でも経済界が必要とする人材って、できる限り低賃金で長時間働いてくれて、卒業したら即戦力で働けて、なおかつ「いくらでも代わりがいる」人間のことなんですよね。だって企業からしたらそういう、安く雇えてよく働き、しかも何かあったらすぐに代わりを見つけられる人間の方がありがたい。あたりまえですけど。

 

そういう人間を育成するよう要請しておいて、限られた良好な雇用条件を争わせる。その争いに敗れた人(狭き門を争っているわけですから、こちらが大多数なわけですが)に向かって、勝ち取れなかったのは自己責任だ、自分の現状に見合った仕事で我慢しろ、とどやしつける。そういわれると、「まぁ確かに」と思いますよね。そういう「自己責任論」で若者たちは自己評価を徹底的に切り下げられる。そりゃあ最後には働き口があったらどんな劣悪な雇用環境でも「ぜひ働かせていただきます」ってなるわけですよ。そこからはテンプレートの繰り返しです。雇用条件に文句を言っても、「それは自己責任だ」から始まる無限ループ。こうして格差社会はどんどん開いていっているし、感覚的にこの仕組みに気づいている人は、「フリーハンド」を優先させて非正規雇用やフリーター、親や恋人のヒモになるか、マルチビジネスやらに身を沈めている。

 

こうして見てみると、社会の要請に教育が順応してもろくなことってあんまりないんですよね。大学を筆頭とする教育機関は、国家権力が教育に加担しすぎてはいけないという反省をもとに、国家の暴走を抑制する学術機関としてその地位を委ねられたのが戦後の日本再興の計だったはずなのですが、今となっては社会全体で「学校は社会のニーズにあった人材を教育しろ」と叫んでいる。あるいは競争原理を徹底しろだとか、実学を教えさせろだとか、酷い人は「馬鹿な高校や大学に行かせるぐらいなら中卒や高卒で働かせろ」とかね。

 

そんな社会って、どうなんでしょうって話なんです。それに対して、学校とはどうあるべきなんでしょう。

 

2014年に世界で起こったテロでの死者数は3万2727人だったそうですけど、日本の年間の自殺者数は98年から2011年までずっと3万人以上だったんです。戊辰戦争でも死者は約8200人だったんですよ?これって狂気的じゃないですか。

 

話をグッと(毎度ながら)戻しますけど、僕は学校や教育機関というのは、やはり第一に子供を守ることが最大にして至高の使命だと思う。競争から、大人たちから、社会から、時には親からだって。そして、この社会をより良くしていくための成員を一人でも多く世に輩出することが、託された使命だとも思う。

 

だから、イエズス会がそうしたように、あるいはマルクスやエンゲルスがそうしたように、僕たちは子供たちを社会から保護し、そして社会をより良くするために、子供たちを教育すべきだと思う。何も社会主義者を育成しますと言っているんじゃありません。ただ単純に、学校を苦に200人もの子供たちが自殺し、年間2.5万人から3万人もの自殺者がいる社会は「おかしい」と。そういう社会を「それが現実だから」といって子供たちを未熟なうちから苛烈な競争とパイの争奪に晒させるためではなくて、こういう社会を「もっとよいものにできる」人間に子供たちを成熟させるために僕たちは教育に従事しているのだと思っています。

 

ですから、学校というのは、良い悪いの話ではなくて本質的に、子供たちを親や社会といった世俗から隔離する存在なのです。マクロな話ばかりしてしまいましたが、ミクロな点でもそうです。親という絶対的な支配から一時的に離れ、親とは違う考えや価値観・視点を持つ先生や大人たちに師事し、親の目を気にせずに遊び、学び、子供たちと関わりあう。親とは違う視点で怒られ、また褒められ、親とは違う方法で教えられ、聞かされる。塾に行けば、また学校の先生とは違う褒められ方をし、怒られ方をし、異なる方法で学ばされ、気づかされる。

 

そこに葛藤が生まれます。なぜ同じことをしてもこの人だと怒られ、この人だと怒られないのか。なぜこの人はこういうのに、あの人はああいうのか。

 

その葛藤こそが、成熟への階段なのです。

 

その葛藤を与える場として、学校は存在する。のであれば、できる限り其処は、社会や親のそれとは「異なる」ものを要請すべき場所であるべきでしょう。

 

このことをよくご理解いただいて、何かと教育現場に難題を要請する社会の方々には、少しばかり口を噤んでいただければ、それだけで日本の教育はがらりと変わると思うのですが、いかがでしょうか。

 

 

 

 

 

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